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仏壇のご本尊様と貪りの心

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有り難し有り難し 6

仏壇を求める際、お仏像を散々悩んだ末にいちばん安いタイプのものにしました。仏壇には大きさもぴったりで、調和がとれているのですが、衣や螺髪の彫りがなんとも雑な感じでイマイチ好きになれません。もっと立派なものにすれば良かったとお仏壇に向かうたびに後悔します。

安物を選んだ私はお金が惜しかったんです。そして今の私は見た目と物欲と名誉欲にとらわれています。

結局、貪欲の心ばかりで仏様なんか信じてなかったんだとがっかりしてます。

このままではご本尊様もかわいそうで、申し訳なくって。わたしはどのように考えれば良いのでしょう。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏さまはかわいそうではありません

 okazuさん、お早うございます。現代ではほとんどの方が、亡くなった方の供養のためにお仏壇を迎えると捉えているようですが、okazuさんはどのような理由でお仏壇を求めなさったのでしょうか。本来お仏壇は、家の主であり、私たちの人生のよりどころである仏さまをご安置するためのものです。誰かが亡くなってからではなく、皆が元気に生きている日々において、いつも手を合わせ自らを振り返ること。様々なつながりを感謝し、すでに仏さまに見守られ導かれてある私を思い起こすためのものです。
 ところでokazuさんは、お迎えした仏さま(=仏像)について満足されていないようですね。本来仏像とは、形を超えた真実真如なる働きを私たち人間に気づかせ、受け取ることが容易であるようにと創られ、伝えられてきたものです。しかし、私たち人間が創作・造作するものは、金額の多少に関わらず、真実の働きを完璧に再現することは出来ません。再現できるのは、あくまでその一部分でしかありません。
「形を見たら心をたずねよ  心を聞いたら形であらわせ」
私が学生時代に学んだ言葉の一つです。仏像という形の判断・評価・鑑賞にとどまってはならないと言うことです。見た目の豪華さや技巧の精巧さ、金額の多少に振り回されてはいけないのです。大切なのは、その形を通して現そうとされた心や願い、真実に出会うことなのです。

 私たち人間が様々な欲を抱えながらしか生きていけないことは、仏さまはすでにお見通しです。その私たちをほっておくことができないと願いを立て、その私たちを導き、救うために悟りを開かれたのです。ですから、欲から離れられない私たちが、悟りを開かれた仏さまに対してかわいそうだと思う必要はありません。
日常生活の中で、仏さまをお迎えできたこと。毎日仏さまに手を合わすことができていること。そして、自らの偽らざる姿にきちんと目を向けることが出来ていることを、仏さまの導きとして喜んで受け止めてください。この不完全な私がいつも仏さまに見守られ導かれてあることの安心を、いつでも感じることが出来るでしょう。いつの日か、仏さまの教えにも興味・関心を持ってくださるようになると、嬉しいです。
 ハスノハに相談を寄せて頂き、有り難うございました。

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有り難し
おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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質問者からのお礼

「仏像という形の判断・評価・鑑賞にとどまってはならないと言うことです。見た目の豪華さや技巧の精巧さ、金額の多少に振り回されてはいけないのです。大切なのは、その形を通して現そうとされた心や願い、真実に出会うことなのです。」そう言っていただきたくて質問しました。

ご本尊様は私の姿を照らしだしてくださってるんですよね。この欲のままの姿でお念仏申せと勧めてくださってるんですよね。仏教の本を読みながら、ちっとも自分のこととして受け取ることができてないこともわかりました。ほんとにありがとうございました。

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