嫌いな自分を受け入れられない
数年前に、当時一番親しいと思っていた友人が自殺未遂をしました。
友人も私も同じ施設で暮らしていたため、友人の部屋へ駆けつけ未遂のままで終わらせることができました。
しかし、駆けつけ救助するまでに自分というものがいかに最低でクズであるかを認識することとなりました。
何点かあるのですが簡単に言いますと、
・SNSに投稿されたさようならのメッセージを見て見ぬふりしようとした。
・真夜中の騒音を心配し、部屋のバリケードを破ろうとしなかった。
・救助等を、自分と同じ怖がりな人に我が身可愛さで押し付けた。
友人が病院へ運ばれるまで何ひとつとして自分で動けたことはありませんでした。
この一連のことから、自分が想像以上に臆病で怖がりで、大事なときに優先順位を正しく認識できず全く動けない人であることがわかりました。
自分は、怖いからと友人を見殺しにしようとするし我が身可愛さで関係のない人につらい役割を押し付けるような人間なのだとショックを受けました。
それから、自分へ不信感を抱き、何をやったってできないし無駄だ、こんな人間生きていても仕方がない価値がないという考えが強くなりました。
気を紛らわせて生活しましたが考えがよくなることもなくそのまま数年経ちます。
憂鬱な気分から脱するためにはありのままの自分を認めることから、とよく聞くので私もそうしようと思いました。しかし嫌いな自分を受け入れることができません。
友人を見殺しにしようとしたり大変な役割を関係のない人に押し付けたクズな自分を受け入れたら、それらを良くないことだと否定し続けた良心的な部分はどうなるのでしょう。
無気力感などからお別れしたいですが、嫌いな自分を受け入れることが恐ろしいですし受け入れたくないと思ってしまいます。
また、自殺するほど追い詰められている人が最後の救いとして自殺しようとしたとき、止めるのは最善なのでしょうか。
社会的に見ればきっとそれは正しい行いなのでしょうが、生きたくもない世界で今後も苦しみながら生きろと言うのは正しいのでしょうか。
何を言いたいのかよくわからない文章になってしまいました、すみません。質問というよりは、誰かに懺悔したかったのかも知れません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ありのままの自分を受け入れていいのです
あかさ 様 相談ありがとうございます。
「大事なときに優先順位を正しく認識できず全く動けない人」から自分への不信感があるようですが、実は、動けなることは誰にでも起こるのです。
人は恐怖の状況に追い込まれた時、本能的に逃げようとするか、身体を固めて動けなくなってしまうのです。これは、自分の身を守るために本能的に備わった機能です。これがないと生きものは命を繋いでいけないのです。
ですから、あなたは、自分を責める必要はないのです。自分に不信感を抱く必要はありません。
おそらく、友人の自殺未遂はあなたにとって信じがたい恐怖を感じていたはずです。それがあなたを本能的に動けなくしてしまっただけです。自分を嫌いになる必要はありません。自分を嫌いになる必要がないので、嫌いな自分を受け入れる必要はありません。ありのままの自分を受け入れていいのです。
良くないことだと否定することもないので、自分を増々受け入れることができます。
そして、自分に思いやりと優しさや温かさ寛容さを向けてください。ゆっくりとした落ち着いた呼吸とともに、自分に思いやりや温かさを向けると心が穏やかになります。癒しが起こります。そうすると、今ここに居ていいんだと思えるようになります。「自分が想像以上に臆病で怖がりで、大事なときに優先順位を正しく認識できず全く動けない人」という自己解釈も変わっていくでしょう。臆病で怖がりでない時の体験も思い出し、前向きに生きられるようになるでしょう。
それから「・・・最後の救いとして自殺しようとしたとき、止めるのは最善なのでしょうか。」は、最期の救いではないので止めてください。生きたくもない世界と思っているのではなく、生きたくて生きたい世界なので何とかしたい!という心の叫びです。本心は、何とかして生きたいのです。そこをくみ取ってあげるのが本当の人の繋がりです。
宇宙ひろしといえども、その人はその人として一人、命があって存在しているのです。こんな貴重な存在がどんな状態であれ生きていいのです。生きてこそ苦しみの中から光を見つけ出すことができるのです。よく考えてみてくださいね。
追伸:お礼メッセージ、ありがとうございました。反応は個人差が出ますので他人と比べないように自分に思いやりをむけるように心がけてください。字数制限で以上です。再礼
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
“恐怖を感じたときに動けなくなるのは本能的なこと”ということで、確かに漠然とした大きな恐怖は感じていたため「あの時は仕方がなかった」と思うと同時に「あの人は動けていたのに」と比べてしまいます。
不信感などを拭い、ありのままの自分を受け入れられるようがんばろうと思います。
また、自殺を止めることについてもご回答ありがとうございます。次の機会など訪れてほしくはありませんが、もしも身近であったときは迷わず止めるようにします。