自分ではわかりません
職場で悪口を言われています。話を誇張されたりないことを言われたりしています。正直今までもありましたが、理解されない自分に嫌気がさしたり他人を信用できない心境です。
過去にも同じことがあり人間不信に陥ったこともあります。長らく他人が信用できなくなりうつ病にもなりました。
他人も自分も悪く思いたくないのですが、信じていた人に裏切られたり離れて行ったりとすごく落ち込んでいます。
私はどうしたら良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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悪口は言われるものだと諦める
私も悪口を言われてたくっています。同業者からの中傷は日常茶飯事ですから慣れました。タイトルの「諦める」はふつうの意味の「しょうがないと諦める」という意味と共に「明らかに見る」というもう一つの意味でも用いています。そんなものなんです。
たとえば、私は見合い結婚ですが、その折の紹介者で仲人の夫婦は私のことを悪し様にいいたくります。私と同じボランティア活動(外国人のための日本語教室)をなさっている方々が仲人の寺の催し物に参加されるとおっしゃるので、「あそこの寺の住職夫妻は私どもの仲人さんです」といいました。次の週、その催し物に参加した人たちの私を見る目はたいへん気の毒そうなものでした。仲人(住職の方)が私の悪口雑言、罵詈雑言をしゃべりまくったそうです。何人もの人が聞いておられるので間違いないです。
仲人の片割れ(住職の嫁)は付き合いも、妻と同じ滋賀県立八幡高校の卒業なので、ウソをついて隠していました。自動車を利用すればすぐ近所の寺で、卒業生、教職員に共通の知り合いや同業者がヤマほどいますからウソをついて隠してもバレます。しかし、ウソをつかなければ生きていけないオバサンなので、私たちをずっと騙してきました。ふつうは仲人は「親代わり」ですよね。でも、この夫婦はまったく違うんです。
坊さんのくせに他者の悪口をいう、ウソをつくといのは、この住職夫婦にかぎったことではありません。お説教師の団体の役員を決める際、候補者の家に脅迫めいたハガキが届き、「お前が役員になったらお説教に出られなくしてやる」だの、「お前が活躍しているのは親の七光りだ」と新聞の活字を切った文字で書かれていたそうです。その人が候補に挙がっていたのを知っているのは数人の説教師つまり坊さんで住職という連中だけです。怖いと思いませんか。
こうしたことから悪口は言われるもの、足は引っ張られるもの、いじわるはされるもの、という一般原則が得られます。だからあなたも他人にそうしろとは言いませし、私もまっぴらです。
ですが、一般原則である以上、そんなことでへこたれないでください。あるがままを見て淡々と対処してください。お釈迦様の教えに従って助言させていただくとこのように言うことができると思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。