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魂を磨いた先に何があるのでしょうか?

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私は人は魂を磨くためにこの世に生まれ、生きているのだと思っています。

ただふと、
・なぜ、なんのために魂を磨くのだろう
と思ってしまい、
考えていると、魂を磨くために生きているということがいつの間にか出来上がった空論のようにも思え、

なんのために日々生きているのかわからなくなってきました。

考えるきっかけになった出来事があるため、あわせて書かせていただきます。

私には付き合って3ヶ月になる彼氏がいるのですが、
ここ2,3週間ほど話す度に口うるさく話し方(論理的でないなど)や性格の面など色々と注意され、
私のために言ってくれていることだからと思い、うるさいなどとは言わず直そうと心がけてきたのですが、
最近、会話していたらまた何か言われるのではと怖くなり、彼氏と話すことからも、注意されたことからもただただ逃げたく、向き合えずにいます。

なんのために、人は成長していかなくてはいけないのでしょう。

ご意見を伺いたいです。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

成長の理屈、その違い

こんにちは、初めまして

仏教では、「魂」という不変の存在を前提としないので、ここでは人格形成や人生そのものを問うことの先には何があるか、という問いとして回答を書きます。

私なりの結論を言いますと前記のような努力の先には、自分にとっての本物に出会うため、と思います。

本物、と漠然とした言い方になっておりますが、それはひとえに私が求める本物とあなた本物は違いがあるでしょうし、彼氏さんとあなたの求めるものも違うかもしれないからです。

古今東西の先哲たちは 自分の本物をそれぞれ求められてきました 。ただそれぞれに行きつかれたのは、それそれぞれ独特の道です。だからお釈迦様は、孔子さんではないし、ユダヤ教とイスラム教は=にならないのです。

仏教では、大まかに行って二つの方向性があります
一つは人間は宝石の原石であって磨けば光るつまり仏様になれるということ。もう一つは人間には、宝石を磨くことが出来ない、その能力が根本的に問題がある、と考える方向性です。

これらは、いずれも仏になるという本物を目指しているわけですが、それぞれの理論理屈が違います。そして、もちろんどちらが勝っていてどちらが劣っている、ということでもありません。それぞれなりの理論があるわけです。

あなたは、彼氏さんの理論についてけていないからこそ、悩んでいるのでしょう。
しかし、そこには彼氏さんなりの理論と、あなたなりの理論とが違うという現実があるだけのお話ではないでしょうか。あなたには、あなたなりの現実があり、理屈がある。そのことを大切にすることも、この先対等な関係を築いていく時に必要でしょう。

彼氏さんなりの成長の理屈
あなたなりの成長の理屈

どちらも是々非々で大切にして下さい。

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おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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成長しなければいけないわけではないでしょう

ご相談拝読しました。

人は別に魂を磨いたり成長したりするために生まれたわけではないでしょう。

いや、もっと言うと「〇〇のため」という目的があらかじめ与えられて生まれるわけではありません。

なぜ生まれたかというと、「生まれる原因があったから」ということに過ぎません。ですから「○○のため」という人生の意味的なことは、「生まれたからにはどう生きるか?」という類の問題に属する事柄だと思います。

さて、あなたがあなたとして生まれる原因は何だったのか?それは人知ではけしてわかりません。

わかりませんけれども、想像できる範囲で想像する限り、両親の出会いから遡って生命・宇宙の誕生まで至る数限りない条件が奇跡的にととのって今ここにあなたとして結実しているということだけは確かに言えるでしょう。

そのあなたがはからずも生をいただいてどう生きていくのか?

何をどう頑張って生きても死ぬ事は避けられません。どんなに成長したって人は老い、病み、そして死にます。

ならば成長する必要ある?

と思ってしまっても不思議ではないでしょう。

さてさて、あなたの文章を読む限りあなたが論理的でないなどとは思いません。あなたと彼氏さんが上手くやっていくためには彼氏さんだって成長する必要はがあるのかもしれません。どちらが劣っているとか優れているとかではなく、上手くやっていくためには難しい性格上の相違がある場合だってあります。そうだとしたら成長云々でなんとかなるものでもないでしょう。

つまり、結局はあなたと彼氏さんがどうしたいのか?です。

目の前のこの相手と共にいたいと願うのであれば、そのために必要な努力をせねばならぬでしょう。それを成長と言ってもいいかもしれません。

だから成長しなければいけないわけではなく、別れるという判断もありなわけです。そしてそれもまた出会いのご縁の中で主体的に選択を下すという成長と捉えることもできるでしょう。

彼氏さんとお互いにどちらが正しいか、どちらが論理的かなどと争うのではなく、本来この人とどうなりたかったのかという原点に立ち返られるといいですね。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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ただ体験したいだけです。

魂の成長の為とありますが、本来、魂は佛(悟りを得た存在)と同等とあります。
ゆえに魂が成長するのではなく、「わたし」という存在が、そのことを体験したいということで、この世に誕生して、様々な経験をしていると思います。

今の環境すべて、出会う人すべて、今日までのこと、そしてこれからの出来事を通じて、自分が何者であるか。それを体験したいだけのことです。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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自分を磨くこと

拝読させて頂きました。
何のために自分を磨いて研鑽するか考えてしまいますね。人と接している時も気になってしまうお気持ちよくわかります。
なかなか研鑽していくことは難しくも感じます。
仏教、仏様の教えは全てのものが成仏つまり仏様に成ることを目指している教えです。
すべてのものが仏様になるということはわかりやすく言いますと貪りをなくして怒りや憎しみの心を消して、決して愚かな考えや行いをしないことです、そして心を清く穏やかに保ちいつも安心して安定して円満なることです。そして真理を知って智慧を体得する、つまり悟りを得ることです。
そうすると全てのものごとをありのままに受けとめていくこととなり、あらゆる人とも円満にご縁を結んでいくことができます。
そこでは迷いや悩みや苦しみ辛い思いはなくなります。
そのように自ら志して精進していくことが仏様の教えですし、研鑽を積むつまり自分を磨いていくことです。

あなたの心の中にはそのお気持ちがしっかりとあると思います。
人生生きているとなかなか思うようにはいきませんが、何でもどんなことも修行とまり自分を磨いていく一環ですからね。
どうかあわてないでしっかりと目の前のことに正直になり、人とのお付き合いも誠実になさって下さいね。

あなたがこれから素直なお気持ちでご精進なさり、皆さんと仲良く円満に生きていかれて心豊かにお過ごしいただきます様切に仏様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

お忙しい中本当にありがとうございます。

読ませていただく中で少し客観的に悩んでいたことを見れるようになれました。
まだ現実に向き合えるだけの気力がないですが、ゆっくり向き合っていきたいと思います。

ありがとうございました。

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