ご住職の対応について意見を聞きたいです
長文を失礼いたします。
私の母が亡くなった折、私の父が私の母の永代供養のお願いのためにお寺へ出向いた折、私からいくつか住職に質問をいたしました。
「私、葬儀社の方にかなりお世話になりまして、で、その方たちは亡くなった方に対して一礼を欠かさず、敬意を尽くしているようにみられました。
私はお経の意味などはわかりませんが、この一連の(お経をあげる式の)動作中に、何かそうした「敬意を表す」ような行動は含まれるのでしょうか」
といった内容のものです。その住職の言動などに、どこか投げやりっぽい感じを受けましたもので。
住職の回答ですが、端的に「お経をあげることがこうした敬意になります」というものでしたが、なんとなく私は納得できませんでした。
続けてあげていただいたお経の意味をおたずねして、それについても説明していただきました。
「納得いただけましたか」という問いに対して、私は「あとは個人個人のとらえ方になってくると思います」みたいなことを言ったと思います。
その直後にご住職が激高しまして・・・。
「お前、俺のあげるお経より葬儀社の人間のほうが礼を尽くしてるっていうのか、そうなら全部葬儀社の人間に供養してもらえ!」
「俺の方が(葬儀社より)上にきまってるだろ!」
「こっちは商売でやってるんじゃないんだ!お前がそんな態度なら金は返す、そのかわりこの戒名は返してもらう」
「●●(父の名前)とのご縁もあって、特別に永代供養という形をとったが、こんな態度をとられるとは思わなかった」
私も「それは違う」「誤解だ」と色々言いましたが、聞き入れようとはされなかったように見受けられます。
最終的には「お前の言うとおり誠意なんてのは個人個人のとらえ方だろうから、それならお前が納得する寺を探せ!」と怒鳴った後、住職は席を立って退席されてしまいました。
私自身「お経なんて何の役に立つのか」といった気持ちがありましたし、そうした気持ちを見透かされていたのかもしれません。
それにこうした質問は「場」にそぐわないものでしょうし、私のような気持ちを持つ人と接する場合、かなり不愉快であっただろうとも思います。
しかし、あそこまで面罵されるとは思いませんで・・・。
二人で平謝りしたことでとりなしを得ましたが、個人的には今後の事も考えています。ほかの方のどんな見解でも聞きたいです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何に対しての礼でしょう
こんにちは、初めまして。
最初にお断りします。
第1に会話が断片的であり、やりとりの内容が良く分からない部分が多々あり、住職、あなたの言葉、意図、そして第三者である私の把握が難しくなってます。
第2に、コミュニケーションは仕草や表情を含んだものであり、言葉だけでは二者の会話が判断できにくいということです。
まず、当該の住職の使った言葉がこのままであるならば、やはり立場をよく考えて欲しい、と思いました。「お前」、「してもらえ!」等は「激昂」して口にするのは慎むべきです。
次に住職とあなたの冒頭のやり取りについてです。
あなたは、葬儀社が「一礼を欠かさず、敬意を尽くしている」と感じたが、「住職の言動などに、どこか投げやりっぽい感じ」があって、故人に対しての礼が不十分であるとの不審を抱きながら質問をした。
すると、住職は読経=敬意であり、お経の意味も説明し、「納得いただけましたか」と言われたのに対し、あなたは「あとは個人個人のとらえ方」等と応じられた。
言い換えれば、私は納得が出来ない、他人ならいざ知らずという意味でしょう。
これは、礼を失した態度のように見えます。
何について礼を失しているかというと、住職並びに仏教について、です。
仏教という、その宗派ごとに精錬されてきた教えが、その場ですぐ分からないことにあなたは不満を持ったのではありませんか。だから、元々持っていた不審も相まって、皮肉っぽい言い方と受け取られかねない応じ方をした。
それは、分からないものを分かりたいという姿勢ではなく、
自分の分からないものは受け付けない、そういう姿勢です。
あなたは、住職のみならず、読経自体に不審の念を持たれていて、「そうした気持ちを見透かされていた」とご自分で言われている通りの事態がこの度のことなのでしょう。
葬儀社の人は、確かに故人に対して何度も礼をしたと思います。
一方、ご住職は、故人とその先にあるご本尊に対して、式中に何度も頭を垂れていたはずです。あなたは、ご本尊、礼拝に意識がいっていましたか。
あなたが、住職、仏教、儀式を評価する、という意識から、一から虚心坦懐に教えてもらうという姿勢への転換が必要ではないか、と思いました。
追記
ご事情があることは分かりました。
自省なさった部分もあることでしょう。
今後も相談して下さい。
戒名をもらう=住職が師匠
まず、住職から戒名をもらうということは、住職の弟子になるようなものです。
師匠に対して、「あなたは弟子に敬礼したのか?」と質問するのは、おかしな質問なのです。
西遊記でいえば、孫悟空という戒名をもらった石猿は、三蔵法師の弟子になったのです。
三蔵法師に孫悟空が敬礼するべきなのです。
これに対して、三蔵法師や孫悟空が宿泊する宿の従業員は、三蔵法師にも孫悟空にも礼を尽くしてもてなします。
葬儀屋さんも、故人・施主・住職・弔問客すべてにサービスしてくれます。
読経の儀式の中では、仏・法・僧の三宝への礼拝はあると思います。
故人は住職と一緒に(師匠である住職の真似をして)、仏・法・僧の三宝に向かって礼拝なさっていると思いますよ。
追記
欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩は悩み苦しみの原因になりますが、そのような煩悩は誰にでもありますね。
お坊さんにも煩悩があります。
お母様への礼を求めたあなたには、そのとき、プライドの煩悩や怒りの煩悩が働いていた。
ご住職にも、プライドや怒り、さらには、丁寧な説明を省いた怠けの煩悩が働いていた。
お釈迦様の教えのとおり双方が煩悩を制御できていれば喧嘩は起きなかったわけですが、そうはならなかった。
ここは、「お互いさま」の気持ちで、水に流して許しあうのが良いと思います。
心は無常。だからキャラ変更OK。
子供のように、昨日喧嘩した相手とでも、今日は笑顔で冗談を言いましょう。
ありがとうございました
こんばんは。お悔やみを申し上げます。
激高するお坊さんがいてごめんなさい。
あなたのように、「お経なんて何の役に立つのか」といった気持ちの方は少なからずいらっしゃると思います。あなたが特別おかしな考えを持っている訳ではないと思います。
あなたのご質問を拝読し、私自身も、お檀家さまに対し普段からまた通夜葬儀を通し、「お葬式はどのような式なのか」「お経とは何なのか」についてもっとしっかり説明し、またお葬式も尊厳を持って丁寧に行い、お葬式が終わった後ご遺族にモヤモヤが残らないように精進していきたいと思います。
ありがとうございました。
あなたのように、お坊さんにまっすぐ言ってくれる方は少ないと思うので、そのお坊さんも、怒りながらも反省したかもしれません。いまごろその反省を活かしたお葬式をしているかもしれませんね。そうだとしたら、そのお坊さんにとってあなたは言いづらいことを言ってくれた恩人です。
今後、そのお坊さんの様子をみて、それでももしそのお坊さまがどうしても信頼できない、お父様の時はお願いしたくない、と考えるようでしたら、お寺さんを変えるのもやむを得ないかもしれません。
質問者からのお礼
願誉浄史さま
ご返答ありがとうございます。
住職の弟子になるようなものだということは初めて耳にしました。
それなら「弟子に敬礼」というのは確かにおかしな話ですね。
ただ、「師匠」である以上はいきなり「弟子の息子」に激昂せず、落ち着いた口調で非礼を嗜めて頂きたかった。
「こういってはなんですが、あなたの物言いはずいぶんと失礼ですよ」
このくらいの緩衝材は置いてほしかったところです。
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釋 悠水さま
ご返答ありがとうございます。
・・・礼を失した態度というのはその通りです。こればかりは本当に自分が恥ずかしいです。
ですが、あの時はどうにも我慢がならなかった。
あの住職の、私の初めの質問に対する返答の際の、いかにも「面倒くさいことをいいだした」感のある態度、居丈高な口調での返答・・・
確かに、式中には何度も頭を垂れていました。それはしっかりみております。節をつけての読経や、銅鑼の音が、随分と新鮮に聞こえたものですから。
・・・しかし、果たしてそれは本当に気持ちのこもったものだったのだろうか。
なにせ「式」ですから。式ごとに、決まったお経を読む、決まったタイミングで鐘を鳴らす等の取り決めがあって、その通りに進行するもののはず。
こうした事はルーチンワークになりやすいし、今回の場合、事実そのようになってはいなかっただろうか。
もし、私の危惧しているようなことがあるなら、そのようなことで、本当に母は大丈夫なのだろうか。
少なくとも、あの時の私はそのように思わざるを得なかった。
・・・ですが、こんな事はストレートに聞くことはできません・・・。
ですから、あの最初の、まあ、当たりさわりが無いだろうと思われる質問の返答を通して、何かこう、ほんの少しでもこの人の気持ちの中に、真摯なものが見えないだろうか、と思ったわけです。もし、それを見出す事ができれば、返答の最後の「姿勢の転換」はできていたと思います。
・・・残念ながら、私にはそれを見出すことはできませんでした。考えてみれば、これもまたずいぶんと思いあがった考えですし、そんなこと、端から無理だったんじゃないのかと、今となってはそう思いますが・・・。
ですが、質問に対する回答をいただいた以上、こちらも何か返さなくては。
その返しとして適当だと思ったのが「あとは個人個人のとらえ方」というものでした。
これが正直な、あの時の私の精一杯の気持ちでした。
口頭ですから、文章のように時間をおいて中身を吟味して返答する事もできず、その言葉を失礼だと思うだけの思慮深さも、言葉を取り繕うだけの余裕もなかったと思います。
無礼でも、もっとはっきり自分の意図を伝えておればよかったのだろうか。それとも、何も言わずに黙っていればよかったのだろうかと、今でも色々と思うところがあります。
今回の件を通じて、自分がいかに未熟者であるか痛感しております。
なんだか、くどくどと言い訳じみたものになってしまいました。もっと短く、端的にまとめられればよかったのですが、自分にはこれが精いっぱいのようです。
もしかしたら、私はただ、誰かに慰めてもらいたかっただけなのかもしれませんね。お前、今日はずいぶんひどい目にあったな、災難だったな。だけど、お前の態度も悪かったんだぞ。まあ、あの住職の態度は無いよな、という具合で・・・。
甘えた考えなのでしょうが・・・
追記:激高ではなく「激昂」が正しい書き方ですね・・・。お恥ずかしい限りです・・・。
光禪さま
ご返答ありがとうございます。お礼に時間がしまってしまって申し訳ないです。
頂いたご返答の中で、一番お優しいものでした。まだあの時の出来事について色々と思う所は残っておりますが、本当に心が慰められました。
今、心の中にある暗い感情は、時間が経つに連れ徐々に消えていくと思いますが、その大きな助けになってくれそうです。
長い闘病生活の末、亡くなった母を思い、心ならずもセンチメンタルになっていた矢先に、あのように聖職者の方に罵倒され(失礼な態度を取ったのはこちらですし、おまけにこっちも若干は言い返していますが・・・)そのことで自己嫌悪に陥っている今、こうして誰かに自分の言い分を(しかもあの質問の断片的な情報から)聞いて「あんたはおかしくなんかない」と言って頂ける。本当に、心の底から有難いです。
また、こうしてそのことに素直に感謝できるという事が、とても嬉しい。ああ、まだ自分はそこまで堕ちたものでもないかもしれない、なぜなら、こうして誰かに感謝ができる。「ありがとうございます」と心から言う事ができるのだと。自分勝手な感情でしょうか。でも、今後もまた前を向いて行く事ができそうです。
繰り返しになりますが、お優しいご返答を、本当にありがとうございます。
※釋 悠水さまへのご返答で「こうした事はルーチンワークになりやすいし、今回の場合、事実そのようになってはいなかっただろうか」と書きましたが、これは完全に当方の思い違いであったという事を追記いたします。
異国の言葉を決まったトーンで発声し、節をつけて読み上げつつ鐘、銅鑼を合間に鳴らすなど、とてもルーチンワークでできるようなことでは無いでしょう。何年もの修練の賜物だという事は、少し考えればわかりそうなことでしたが・・・
追記をありがとうございます。メールが届いた時間がものすごく朝早くで驚きました。
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願誉浄史さま
未熟者なもので、すぐには無理かもしれませんが・・・
なんとなくですが、時間が経てば嫌な事は、自分の頭が勝手に忘れてくれるでしょう。なんというのか、生存本能みたいなものといえば良いのか・・・今までにも、そうしたことがありましたので。そうなれば、笑顔も冗談も苦手な性質ですが、今後は恐らく、誠実な対応ならばできると思います。
・・・それでもまたやらかすかもしれませんが・・・
今回の件は自分一人の心に留めるにはキツかった。だから、このサイトを見つけられて、相談してよかったと思います。3人もの方からご回答をいただけましたし。
本当にありがとうございました。
釋 悠水さま
追記をありがとうございます。
正直申し上げて、愚痴を書きすぎですね。後で読み返しても実に恥ずかしいですが、ただ、それでも一件当時や書き込みをした当時の私の本心を正確に表せていると思います。やはり、単に誰かに話を聞いてもらって、慰めてほしかったというのが、本当に私がしてほしかったことなのでしょうね。
ただ、釋さまのご回答で色々な事を考えさせられました。なにをどう、とは脈絡がなさすぎるので(また、書こうとすると膨大な文書量・まとめるのにものすごい時間が必要になってしまうため)書けませんが、それでも何か一つの事をこんなに真剣に考え通したのは、ずいぶんと久しぶりの事です。あと、胃が痛くなったのも。それだけ実のある、良い経験になりました。
願誉浄史さまへの回答にも書きましたが、ここに書き込んで良かった。
本当にありがとうございました。