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ないものに目がいってしまう

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わたしは今1歳2カ月の娘と主人と3人で暮らしております。
近くに両親もおらず、また頼れる状態の両親でもなかったため、2人で子育てしてきました。

とは言うものの、主人は可愛がるだけで、いわゆるお世話はほとんどしてくれませんでした。

そして、好きな時に寝て起きて、友達と好きなように飲みに行く主人に対し、羨ましいという気持ちが募り、ついついあたってしまいます。
心のどこかにいつも、わたしは身を粉にして、孤独に耐えて、こんなにも頑張ってるのにと思ってしまいます。

主人も仕事を一生懸命頑張っているし、彼なりに娘のことをいろいろとやってくれているつもりだとは思うのですが。

主人のことをとても大好きなので、そう思ってしまう自分が余計に嫌になります。

どうしたら、今ないものから、今あること、今ある幸せに目を向けて暮らしていけるでしょうか?
ご返答よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ありがとうから始めよう

子育てお疲れさまです。
頼れる両親がいない中での子育て、本当に大変ですよね。

自分にも子供がいます。共働きです。
この職業柄、家にいることが多いので、送り迎えや家事はほとんどしています。
晩ご飯を作ることにも慣れてきました(笑)

ですから、なんで自分は仕事も家事も子育てもやっているんだ…
と、モヤモヤを抱えている時がありました。それに悩み苦しみました。

そんな自分が頭を切り替えるきっかけになった教えが
「夫婦は鏡」と「当たり前の反対は感謝」の言葉です。

自分がイライラしていると、それを鏡に映したように、相手もイライラします。
そのイライラはやがて家庭にこびりつき、離れません。
ですから、まず自分が変わる必要があると誓いました。

もうひとつは「当たり前の反対は感謝」です。
世間には”突然の家族の死”なんてものは普通にあります。
その時、日常の当たり前の生活って、すごくありがたい幸せなことだったと気付きます。

わかりやすくいうと「ありがとうと沢山言ってみよう」ということです。

相談者さんがご主人を愛し、子育てを頑張っていることは素晴らしいです。
旦那さまも、仕事を頑張り、子どもを可愛がっていて、素晴らしい家庭です。

でも、それが当たり前になっちゃうと、人は不満を感じます。

ありがとうと言われると、やる気が出ます。幸せに思えます。

不満を感じる夫婦のほとんどが「相手の感謝が足りない」と思っているという統計もあります。
言ってくれと求めるより、まずは自分から「ありがとう」の言葉を意識して言ってみてください(^.^)

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おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれることができればと思います。 そしてこの縁によって仏教の良さを知って頂けるととても嬉しいです。

あと数年で日までヒマでしょうがない。

女性は誰もがみんなそう思うものです。
ところが、ある程度の年齢になると、みんな不倫に走る程ヒマになります。
子供に手がかからなくなるからです。
そのヒマさは男性が仕事中でもフリーです。
お昼にインドカレー屋に11:30入店で2:30までおしゃべりでインド人の店主から嫌われるほど時間を持て余します。試しに近所のガストなどのファミレスに2時くらいに行ってみてください。
マダムたちが口を閉じちゃ勿体無いと言わんばかりにオシャべリしています。
時間を持て余しているのに、離す内容は旦那の悪口です。
時間がなければダンナの悪口。
時間が有り余っていても旦那の悪口。
私は一部の女性でしょうが、そういう女性は好きではありませんし、あなたにもそうなってもらいたくありません。
子育ては初めてのことですから本当に苦しいでしょう。ですが、男性も男性なりに、ウチに返ってくるとホッとしているので余裕をかましているのですが、会社、社会という戦地に赴けば一生懸命戦ってくれているのです。
ないものねだり。
素晴らしい自己分析です。
よって、ないものを望むより、あるもの感謝しましょう。
あと数年で子供も相手をしてくれなくなります。
そうなれば、ヒマでヒマでしょうがないです。
旦那のカネでカーブスにも通えます。
そこでもあなたは旦那の悪口を言うのでしょうか。
カーブスしましょう。今の生き方から。
あなたがは知っている旦那の悪いところさがしの道から方向転換するのです。カーブス!!
悪いところ探しの達人になっても夫婦間が仲悪くなるばかり。カーブス!!
愚痴がでてストレス文句でついつい目の前の食べ物に手が伸びます!カーブス!!
結果私のようにブクブク太って、20代にしてフィットネスクラブ!おばちゃんたちと愚痴のオンパレードライフまっしぐら!カーブス!!
自分の生き方は自分で選択しているのです。こんどそう思った時は左折か右折しましょう。!カーブス!!

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます!

夫婦は鏡、まさにその通りだなと思いました。そして、この当たり前は当たり前じゃないということ、後悔のないように向き合っていかなければならないなと思いました。

何年後にはひまでひまでしょうがなくなるのですね。全く想像もしていませんでした。いつも旦那への感謝の話を友人にできるような妻でありたいと思いました。

お二人ともご回答ありがとうございました‼︎

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