生きる意味
生まれてきてよかったと思ったことがありません。
友達もいなくて孤独だし、家族とも上手くいってません。
会社の同期の同僚に冷たい仕打ちをうけ、うつ状態になりました。
けろっぴのぬいぐるみが心の支えです。
人はなぜ辛くても生きなければならないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「心の支え」大切にしてください
ハスノハには、たくさんの問いが来ていて、たくさんのお坊さんが協力しあってそれに答えているのですが、人によって回答が多かったり少なかったりするんですよね。投稿する時間なども影響しているのかなぁ?答えが少ない人には申し訳ないなぁと思っています。
そんな中、ぴっきさんのような、生きる意味って何だろう?って考えている人、結構多いです。仲間がいます。大丈夫です。
最近、ぴっきさんと同じような問いで、6人のお坊さんが答えた問いがありましたので、そちらも参考にしてください。
http://hasunoha.jp/questions/4726
その他にも過去の問いを見ていくと、たくさん類似が出てきますので、「ああ、同じような事考えている人がいっぱいいるもんだなぁ」ってなると思います。仲間がいるっていいですね!それに対する回答もご覧になると参考になると思います。
けろっぴのぬいぐるみが心の支え、いいじゃないですか!マンガ「スヌーピー」の登場人物の中にも毛布が手放せない男の子がいましたね。
ちなみに2015年のサンリオキャラクター大賞では、けろけろけろっぴは堂々の第17位!1988年に初登場し今年で28年。まだまだ現役です。大切にしてください。
執着心があると輪廻転生が続く
眼耳鼻舌身意で感じる一切の現象は、実は苦しみなのです。
しかし、これを心底実感できたら悟りであって、普通は、みんな人生が苦しみであることを拒否したいのです。
人生が辛い、死にたいと言う人だって、心の底では、
「もしも、もっと輝かしい人生だったらまだまだ生きていたい」、「今回の私の人生が例外的に苦しいのであって、本来生きることは楽しいはずだ」
と思っているでしょう。
それは間違いなのです。
生きることは、苦しみの連続。
眼に映る美しい画像でさえ、実は光エネルギーが網膜を刺激している、微弱な光線銃で撃たれているのと同じ破壊的な刺激なのです。
しかし私達は、微弱な苦痛の刺激を分析して画像処理して「きれいなお花だ」と悦楽して光線銃に撃たれているのです。
私達は、人生は実は苦しみだ、という真理から目をそらして、「もっと生きたい、死にたくない」と執着しているわけです。
仏教の究極の悟りは、一切の刺激は苦しみだと悟り、生きることへの執着心もなくなり、輪廻転生のくりかえしから解脱することです。
逆に言えば、執着心がわずかでも残っている私達は、死んでもすぐに別の生き物に生まれ変わるのです。
結論。前世のあなた、現在のあなた、未来のあなたに生への執着心(苦だと心底悟れない)があるから、生き続けてしまっているのです。
「生きたい」「食べたい」「見たい聞きたい」等ウズウズは苦。「死にたい」「逃げたい」「むかつく悲しい」ウズウズも苦。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
けろっぴのために生きます。