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ふと自殺したくなる時があります。

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有り難し有り難し 16

普段、何不自由なく暮らしているのですが、寝る間際にふと自殺したい気持ちに駆られます。
私は正直これまで家庭環境も含め何不自由なく暮らしてきました。学校でも友人は多い方でした。ただ、本当の自分ではなく、親や周りに気に入られる存在を演じているだけなのかも知れないという思いにかられます。
演じている自分、そして演じられなくて失望させられてしまうのではないかという思いに板挟みになっています。
そして、将来の目標や夢などもなく、今生きているのもただ死んでいないというだけに感じます。
一度ネクタイを自分の首に巻きつけて死のうとした時は親の悲しむ顔が浮かび、思いとどまりました。しかし、それも今考えると死なない理由があるだけで、この先生きていく理由ではないように感じます。

今は、寝床でふと自殺願望に駆られるだけですので実行にはうつしていません。
ただ、これがふと断崖絶壁にいる時、電車のホームにいる時だったら何かの魔がさして死への一歩を踏み出してしまいそうです。
全ての人の人生の終着点は死であり、その時間が早いか遅いかの違いではないでしょうか?また、命とは私に属しているのにその処遇についての決定を自分で下すというのはそれほど不自然なことなのでしょうか?

最近分からなくなってしまっています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生死は与えられたものですから

拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃることよくわかります。私も寝ている中でも起きている中でもそう感じたり思うことはあります。或いはこのまま死んでしまうとも思ってしまうこともたびたびあります。

つまり死は私の日々の生活や人生の大きな部分をしめています。そして仮に死んだとしても決してそれで終わりではないのです。
私達が生まれてくるはるか前もありますし、私達が死んだ後のこともずっと続いていくのです。そのような中で自分は今様々な巡り合わせや恵みにより命を与えられてこの一瞬一瞬を生きているのです。

私達はそれぞれ自分の人生を生きていますけどもそれも与えられながらいるのですから自分が決定しているようですがほとんどが与えられている中でのことです。それは自分の生死についてもそうです。生死も自分の意思で決めることではなく様々な巡り合わせの中で天寿を与えられているのです。

私も以前自ら死のうとこころみたことがありますけども山手線のホームでも高層ビルの屋上でも飛び出すことはできませんでした。もしかしたらそれだけの勇気がなかったからかもしれませんし、多量の薬を飲んでいたので立ち上がる力もなかったからかもしれませんし、或いは様々な巡り合わせで生きるように定められたのかもしれません。いずれにせよなかなかそう自分で決定することはできないものです。

死を思い考えることは生きることを見つめ直すことです。或いはこの人生を自分を見つめ直すことです。

改めてじっくりとご自分のことや状況や人生そして生死を見つめ直してみて下さいね。

あなたが与えられ恵まれた人生を生き抜いていかれて充実して天寿を全うなさり、その後もあまたのご縁に導かれますようにと心から仏様やあなたのご先祖様方々にお祈りさせて頂きます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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素のままのご自分だと親御さんを失望させてしまうのでしょうか

「本当の自分ではなく、親や周りに気に入られる存在を演じているだけなのかも知れないという思いにかられます」と、お書きです。普通は外では仮面を被っていても、家に帰ってからは素の自分に戻るのですが、親御さんの前でも気に入られるご自分を演出されていれば、行き詰まるのも無理はありません。本当に素のままのご自分だと、親御さんを失望させてしまうのでしょうか。
気に入られるために、余りにもご自分の本来とかけ離れてしまわれて、そのギャップが「ただ死んでいないというだけ」に感じられるのではありませんか。
確かに早く亡くなる方も長生きされる方もみえます。しかし、命は本当にご自分に属しているのでしょうか。命はご自分に属しているのではなくて、賜ったものとも考えられます。まるさんはご先祖さまの誰が欠けても、生まれません。それに、ご自分がここに生まれたいと願って生まれて来られた訳でも、ご自分で命を作り上げたのでもありません。私自身は命はお預かりものだと思っています。それは連綿と繋がった長い歴史の中で命を賜り、生き続けるためには、たくさんの動植物のいのちと引き換えに私の命は維持されています。私が生き続けるために命を投げ出してくれた動植物のためにも、私まで命を届けて下さったご先祖さまのためにも、生き続けなくてはいけないのではないでしょうか。
まるさんが死にたいと思っている時も頂いた命をおかげで、まるさんの命は輝き続けています。それに、今のままで、まるさんは誰にとって代わることの出来ない尊い存在です。まるさんにしか出来ないことがあります。大事な人なのです。
周りに失望されても、ありのままに振る舞うことで、ご自分が明るく前向きに希望が持てるのなら、それで十分ではありませんか。ご自分を大切に出来なければ、本当には周りの人を大切には出来ないのですから。

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