人を羨んでしまう
人を羨んでしまいます。
自分よりお金を持っている人、友達が多い人、SNSでたくさんの人に慕われてる人、そういうのに嫉妬してしまいます。
リアルで付き合いのある友人に対してはそんな気持ちは一切持たないのですが、SNSでその気持ちが出てしまいます。
そんな人たちも心に何か抱えてて、何かに苦しんで生きてるのは知っていますが…自分がとてもちっぽけに思えてツライです。でもSNSを辞める勇気がありません。今、こんな世の中になってしまって、SNSでしか交流出来ない人たちがいます。
でも、私は向いていないのが分かります、昔のインターネットの方が楽でした。今は暴言が凄くて悲しくなります。
それでとやめられなくて、自分が愚かだと思います。
必要な情報のみを上手く取り入れて生きていきたいんですが、なかなか難しいですね。
買い物や映画が好きなんですが、田舎に戻ってきて、上手く楽しめなくなってしまいました。
常に虚しい気持ちと一緒に生きています。人生は、そんなものなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他者をうらやまない人はいません
他者をうらやまない人はいません。そして、他者を羨ましいと思うから自分もそうなりたいと思って人類は進歩してきた面もあり、それが全面的に悪いわけじゃありません。ある種、自然な感情で、過度に気にする必要はありません。
が、よく分からないのはSNS上の仮想状況では他者をうらやましくお思いになるのに、リアルな場面ではそれほどでもないのは、ちょっと理解しづらいですね。普通に考えたら逆でしょう。もしかしたらそこにヒントがあるのかもしれませんね。
仏教でも、心理学でも、人と比較する事から苦しみが生じると考えます。さっき自然な感覚みたいにいいましたから、エッと思われるかもしれません。要はその自然な感覚に気づいて意識して、比べるのをやめようと思わないとずっと苦しみ続けるということですね。
人間は他人と違うのが当たり前です。みんな同じだけ努力したら同じだけ成果が上がるのだったら、努力した人はみな東大に入れるだろうし、イチローみたいにもなれるはずですがそうはなりません。
上の子が入った中学に下の子も入ろうとしましたが、まったく無理でした。努力は下の子の方がしていたと思います。その当時、勉強ではその努力は報われなくても別のところで必ず生きるから、と申しました。少し楽になったらしいです。
私だって同じで、世の中にはその人ありという著名なお坊さんがキラ星のようにたくさんおいでになるのに市井の一僧侶に過ぎません。
でも、そういう自分を認め、褒め、あるがままを受け入れるのが仏さまというお方です。誰もを分け隔てなく救う仏さまのお話にはすぐには馴染めないのでしたら、ネフという方の『セルフコンパッション』という有名な本を読んで下さい。
とにかく他者と自分を比較しがちですが、そこから意図的に離れてください。上掲書はその方法を教えてくれています。