「自分」を手放して穏やかになりたい
相手が転職し県外へ行くとなり結婚をしました。6月に結婚し、相手の転職先の勤務は8月から。私は会社に無理を言って完全リモートワークの形態で働き続けています。彼は9月半ばから通常業務に加えて研修が始まり、よりストレスを感じている風でした。
ここにきて三週連続で週末に喧嘩のようになってしまっています。昨日、「怒らせるのが怖くて家に帰ってきたくない」と言われました(話してくれたことには感謝を伝えました)。
喧嘩のきっかけは私が苛立ちを表明したことです。
苛立ちの原因を突き詰めてみると、
・こうしてほしい、を言い方を考えて伝えてるのに伝わらない
・相手がよかれと思ってしてくれたことが『こうしてほしい』とずれている
・良かれと思ってしてくれているからその場では「ありがとう!」と肯定的に受け取る(から、そのあと別の状況で「こうしてくれた方がもっと嬉しい」という風に伝えても響かない様子)
である気がします。
たとえば「忙しいようだから愛情表現の効率を上げよう、あなたはこうしてほしいんだね、私はこうしてほしい、お互いに一番いい方法で伝えてみない?」という提案について、私は彼の望む形に沿うのに彼は変えず、というような状態に苛立ってしまう。
苛立ちに気づいたときは、「六秒待つ」「相手の立場に立つ」「(相手が子を望んでいるので)子育てに備える機会」「ここからなにを学ぶか」など見方を変え苛立ちの制御に努めているのですが、時折失敗し、毎週の喧嘩のきっかけになっています。
加えて「他の方の辛さと比べ今の自分は充分よい」など視点のずらし方も実践中ですが、思い至るのが遅く、いつも気づくのは怒ってしまってからになっています(気づくスピードを上げる対策を練っています)。
ただ、こういった「感情をコントロールする努力」は隠していても目が笑っていないなどで相手に伝わる、というのを目にして、苛立ってしまうこと自体をなくさなければ相手を安心させられないのかと途方に暮れてしまいました。
相手が幸せそうにしていれば嬉しく、それだけで満足すればいいのに、「もっとこうしてもらえるとありがたい」と伝えて行動を期待してしまいます。
せめて伝えた後は相手にゆだね、振り返らず、穏やかでいるには、どうしたらいいのでしょう。
転換点はよくわからないまま、今ではパートナーとは非常に幸せな状態になりました。支えをありがとうございました。 現在、「産まれてこなければ苦しい思いをせずに済んだのに」という思考が気力を奪っていき、困惑している。生活への不安もなく、夫とも実家とも良好で、恵まれた状況の自覚あり。それなのに絶望感に襲われることに戸惑っている。 「生きるのが苦しいかは考え方に依存する。『産まれなければ~』という苦しみは『産まれなかった場合』という非現実と比べる行為で生じたもので、『産まれたこと』そのものではない(比較する思考による苦しみである)」と頭ではわかって、思考パターンを変えるよう努めている。 ただ、自分についてはそれでいいが、子については「わざわざこの世に招くべきではないのでは?」と迷ってしまう。 親側の言い訳は「種の繁栄の本能」でいいと思っているが、子が同じ苦しさを抱えてしまった時に、苦しみを和らげられるような絶対的な「生きていることは、生まれないことよりも善い」と思える論拠を求めている。森岡正博先生の著書は拝読済み。
子に「産まれてこなければ苦しまずに済んだのに」と言われたときに「それでもこの世に生きてることは幸いだと思う」と伝えうる論拠がなく子を産み育てることを迷っている
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
正解
ご相談ありがとうございます。
一緒に考えさせていただきます。
非常に自分の苛立ちに目を向けて頑張っておられる様子で頭が下がります。
なかなか自分の苛立ちをコントロールするのは難しいことですよね。
苛立ちの原因は「自分が正しい」と思ってることです。
その正しさは普通、常識に起因します。
苛立っている人の言動は
「ふつう、〇〇でしょ!」とか
「何でこんな(ふつうの)事ができないの!?」とか
ふつうに対して怒っているのです。
そう考えると面白いですよね。
そして普通、常識はみんなそれぞれ違います。
育ってきた環境、地域、性差、年齢、家庭、
特に結婚して一緒に住むとお互いが育ってきた家庭のルールの違いにいろいろ考えさせられることはたくさんあります。
伴侶は最高の先生であると言われます。
自分は正しい自分は正しい、と思って自我を生きている私に自我の愚かさを教えてくれます。
相談のタイトルの通り
「自分」を手放して穏やかになりたい
自分の正さを振り返ることで自分を手放していくことで怒りに振り回される事が少なくなります。
また相談してみてください
質問者からのお礼
田中博之様
ご回答ありがとうございました。自分に抜け落ちていた視点でした。本当にありがとうございます。
問題が発生すると解決策・対処法を調べる⇒発見した方策を実践する が自分の基本パターンであり、「本などにある解決策はよいもの」=「正しい」という前提を妄信していました。
ただ、どんな方策を選ぶかも「自分」基準ですし、そもそも相手が問題と認識していなければ方策も不要なのだから、こちらが一方的に提示しても受け入れられるはずないですね。
振り返れば反省と後悔の募る言動ばかりしていました。
今気づけてよかったです。
未だ彼と関係性が修復に向かうのか手放さざるを得ないのかわかりませんが、これまで苦しめてしまったことを踏まえて、これからは彼の価値観を大事にできるよう精進します。
ご回答いただき本当にありがとうございました。