生き辛い
皆様こんにちわ。どうにか踏ん張って過ごしてきましたが、友人の勧めもあり病院を受診したところ、鬱と診断されました。
なんとなく予想はついていましたが
情けないやら悔しいやら。
こんなにも自分が弱かったと思うと、本当に悔しいです。
お薬飲んで、ゆっくり過ごすのがいちばんいいのはわかっていますが、得体の知れない焦りが
湧き上がってくるような、心が火傷したてのようにヒリヒリ痛くて。
立ち止まるって、休むって、すごく怖いんです。なぜ?って言われてもわかりません。
とにかく怖いんです。
家族はバラバラで、唯一県内に住む母はパニック障害があるので、今回のことは話せません。
具体的な事を書けず、すみません。
何を書いていいかも正直わからなくて。
不安ですとしかかけないのですが、どこかに吐き出したくて。
すみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その不安も大切な縁なのだと思います
こんにちは。ご相談拝読しました。生きづらさを抱える中でうつ病の診断を受け、不安も大きいとのこと。お見舞い申し上げます。
人間って誰でも弱い存在だと思います。特にこのコロナ禍です。抑うつ状態の方も非常に多いのでしょう。転んで手をついたら擦りむくなどケガをするのが道理なように、ストレスを浴び続けるとうつ状態になるのも道理でしょう。それは弱いからではなく、なるべくしてなるということではないでしょうか。
立ち止まって休むのが怖いとのこと。そうだと思います。現代社会で三食きちんと食べて将来にむけて貯蓄もして…と生活を成り立たせることって大変なことです。みんな頑張って頑張っているのでしょう。その中で立ち止まるという事は社会から置いていかれるような不安が募るのではないでしょうか。
そしてそれだけではなく、本来的に関係を生きる存在である人間が、関係を断って生きることには不安を感じるのではないでしょうか。
ですから、立ち止まって休むといっても休み方は色々あると思います。引きこもって過ごすことだけが休むということではないでしょう。
前回の相談を読ませていただきましたが、医療従事者とのことで中々思う様にしたい取り組みができないとのことでした。これを機会に休職してやってみるというのは難しいでしょうか?
あるいは人と関わるのが苦手だったり好きではなかったりするのなら文字通り休むのも手でしょう。人間は関係を生きる存在と先ほど申しましたがそれは他者との関係に限られるものではないと思います。
過去の自分との関係、自分の嫌いな自分との関係、理想像としてとらわれてしまう自分像との関係。そうした様々な自分との関係を休む中で見つめてみるのも良いのかもしれません。
その時に仏教がよい役割を果してくれるように思います。仏教の教えは自らを映す鏡に喩えられます。自分の目で自分を見ることのできない私たちが自分の事実に目覚めるためには欠かせないということです。
独学を続けておられるのかもしれませんが、こうして時々hasunohaに相談したり、お寺を訪ねたりしてみてはいかがでしょうか。
またいつでお待ちしています。ここでは謝る必要はありませんから素直に気持ちを吐き出してくださいね。
質問者からのお礼
吉武様
ご回答ありがとうござます。
医師からは3ヶ月休職を勧められましたが、ひとまず1ヶ月、お休みをもらってみようとおもいます。
お寺へも行ってみようとおもいます。
主治医の先生も「仏教はいいよねー」とおっしゃっていました。
負担にならない程度にお勉強して、今までの自分を見つめ返してみたいとおもいます。
ありがとうございました。
西田様、お返事ありがとうございました。
きっと誰もがコロナに対する不安を持っているのだとおもいます。
これから、どうするべきかゆっくり考えます。