突然の母の死で毎日が辛い
社交ダンスや太極拳が趣味で元気だった母が昨年トイレで倒れ心臓の大動脈解離で亡くなりました。
太極拳にも行きいつもと変わらない日でした。
私は仕事から帰宅後ヨガに行く予定でしたがその日は母の部屋に行き15分位話しそのままヨガは休みました。
突然な死に私は受け入れる事が出来ず救急車を呼ぶ事しか出来なかった自分を責めたり、いつもなら外出していたのだから最期に話しが出来て良かったと思ったり。
母とは親であり親友のような存在でした。
亡くなる1年前から一緒に御朱印巡りにはまり喧嘩もしましたが母は楽しそうでした。
でも、これで最後かな?と言ったりもしていました。
社交ダンスや太極拳に元気に行っていたので私は本気にしていませんでした。
まだまだ元気でいてくれると思っていました。
母は自分の寿命を感じていたのでしょうか?
風邪も引かず元気だったのに。
母が亡くなって手続きや納骨をするまでは必死でしたが1周忌を過ぎた頃から無気力な状態になってしまい、母が悲しむからと思っても前みたいな生活に戻れません。
時間が経てば戻れるのでしょうか?
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辛い思いをお聞かせいただきありがとうございます。
多趣味なお母さまだったのですね。お母さまはいつもと変わらぬように太極拳に行かれて、たまたま、みっちーさんが仕事の後に、お母さんとお話されたのですね。その後、お母さまがトイレで倒れられ、亡くなってしまったと。
みっちーさんとお母さまは、母と子というだけではなく、親友のように親しかったのですね。一緒に御朱印巡りをしたり、喧嘩もしたけれどお母さんは楽しそうにされていた様子をみっちーさんは覚えておられるのですね。
みっちーさんとお母さまが、仲睦まじくされている様子が脳裏に浮かんできます。
お母さんが亡くなられての手続きや、納骨までは必死だったけれども、一周忌を過ぎたあたりから、みっちーさんは無気力になっておられるて、お母さまが悲しむからと思っても前のような生活には戻れない。いずれ戻れるのか、とみっちーさんのお言葉を聞かせていただきました。
そうですね。みっちーさんがお母さまと別れる前の生活に戻れるか、戻れないか。難しいですね。みっちーさんが以前の趣味をまた楽しめる日が来るかもしれないなとは私も思います。
ただ、決定的なこととして、お母さまがおられた頃と全く同じ生活は戻っては来ないと思います。大好きだったお母さまが亡くなられたこと。
この事実自体は変わりません。
時が経てば、気持ちが楽になることもあります。一方で、時間が経ってもあまり楽にならなかったり、亡きお母さまとの思い入れのある時間、誕生日や命日など、また何かの記念日や思い出の場所を訪れた時に、ぐっと悲しみが強くなることもあります。
けれども、無理にそれをどうにかしようとしなくても良いと私は思います。お母さまが悲しむから、無理にでも前の生活に戻らないということは私は無いとお思います。だって、みっちーさんのお母さまを想像すると、みっちーさんがそのために無理をしている姿を見たらどう思われるでしょうか?これは私の勝手な想像ですが、無理しなくても良いよと言ってくれそうな気がしませんか?
あまりにも生活に支障が出るとか、希死念慮が強くなってしまった時などは病気を考える必要もあるでしょう。でも、大切な人との別れは誰にとっても辛いことです。誰にでも起こりうることです。無気力さを無理して追い払わなくても私は良いと思いますよ。
みっちーさん、悲しい、しんどい思いを聞かせていただき、どうもありがとうございます。
質問者からのお礼
お忙しい中読んで頂きありがとうございました。
優しいお言葉に涙がとまりませんでした。
母の知り合いの方々からお母さんが見守ってらから頑張ってと言われる事が正直辛かったので無理しなくていいとの言葉に救われた感じがしました。
ありがとうございました。