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信仰は誰のために?

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最近、とても疑問に思うことがあります。お坊さんは何のために信仰をしているのでしょう?例えば、信仰して極楽浄土(宗派によって変わるかもしれませんが)に行くためとか...宗教って、信仰する人は良い事があって、それ以外の人はあまり良くない事が起こるってよくある事だと思います(酷い場合は地獄に行ってしまうとか...ちょっと怖いですね)そう考えると、もし自分が特定の宗教を信仰する目的は、地獄に落ちないためとか、天国に行くためっていうことになってしまうのです。ですが、本職のお坊さんは私のように浅い考えで信仰されているとは思いません。実際、私は何回かここで相談した時もお坊さんは本当に真摯に向き合っていただき、適切なアドバイスを頂いてきたので、それがお坊さん自身のためとは思えないです。改めて質問しますが、お坊さんは何のために信仰をしているのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「自灯明 法灯明」

横山さま

「信仰」は、盲目的、非合理的、狂信的であってはいけないと考えています。

チベット仏教における教えの中に、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」とありますように、例え尊敬される偉大な師の教え、もちろん、釈尊の教えであろうとも、批判的、合理的に検証を繰り返して、しっかりと納得した上にてその教えを修習していくことが大切なことになって参ります。

確固たる信仰は、自分で可能な限りに調べて、合理的に検証し、納得した上にて成り立つものであると考えています。

また、「信じるだけで救われる」というのは仏教ではありません。

仏教はある意味において実践哲学です。

自らで仏道(主には智慧と福徳の二つの集積)を実践していかなければならないのであります。教えを基にして、自分を救うのは、あくまでも自分になるのであります。

「自灯明 法灯明」であります。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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私の目的ではなく、仏様の目的

こんにちは。
2回目のご縁ですね。
いかがお過ごしですか。

「お坊さんは何のために信仰をしているのでしょうか」という直球の質問ありがとうございます。私にも改めて自分を考える切っ掛けになります。

私は最初から何らかの目的ありきで「信仰」(一般的な言い方での)をし始めた訳ではありません。むしろ御縁があって、いつの間にか「信仰」するようになったと思っています。考えて、選択して仏教、浄土真宗と行き着いたわけではなく、ただ御縁があったという表現が一番しっくりきます。

ここが「信仰」という一般のイメージと乖離があるのですが、浄土真宗においては私の方から信ずるという考え方をしません。仏様のほうから働きかけられて(つまりご縁があって)信ずる心、信心が恵まれると考えています。それは、仏様の教えを聞いて、聞いて、聞き続ける所に必ず恵まれる心だと。

では、ここで改めて「何のために信仰をしている」という問いの「信仰」の意味合い、について考えましょう。その「信仰」という言葉には、求める私の方に目的があって、これを自分の心で力を込めて信じていくというイメージで捉えていませんか。また、宗教とはそういうものだという先入観がありませんか。

少なくとも私は、宗教は、或いは仏教は「信仰」ではなく、信心だと思っています。仏様が極楽へ連れゆくと仰るのだから、ああ左様でございますな。手を合わせてお念仏させようと仰るのだから、ああ左様でございますな。このようにただ受け取っていくだけです。

「何のために」ということは別に必要ではありません。
私が考えた目的など、結局は私利私欲の範疇を出ませんから。

「誰のために」ということも私の方で設定する必要もありません。
仏様は、すべての人を救うと仰っているのだから、おまかせすればいいことです。

ただ、私は仏様が定めてくださった目的、極楽へと往生させるあなたにしたい、お念仏となえながら人生を生き抜かせたいと願って下さったことを、ただ素直に受け取りたい。ただそれだけなのです。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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私は、仏教は私のためにあると思っています。

願わくは、横山さんにとっても、仏教は横山さんご自身のためにあると感じられる道があると良いな~と感じています。

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真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
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自分と他人の悩み苦しみを減らすため

仏教は、まずは自分自身の悩み苦しみを減らすテクニックです。
さらには、他人・他の生き物の悩み苦しみを減らすためにも役立ちます。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。お坊さんの皆さんの考えを直接聞けて「なるほど」と思いました。本当に人それぞれなのですね。私自身、信仰心とは強く何かに念じる事だと思っていましたが、どうやらそれだけではないようですね。
最近、他人の信仰する姿がとても美しく力強く見えるのです。在り方に深みのあると言いましょうか?私自身、強い信仰心があるわけではないのですが、人として、お坊さんのように他人に喜びを与え、苦しみを和らげるような人でありたいと思っています。ただ煩悩は激しいですが(笑)
形だけでも、そのように成ろうと思った次第であります。
ありがとうございました。

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