自分を責め続けます
こんにちは。
私は不妊治療の末にやっと待望の第一子を授かりました。
出産後に、赤ちゃんの頭部に血管腫が見つかりました。また、人より背骨が長い為、成長していく過程で神経が引っ張られ、将来排尿障害が出る恐れがあるため、生後6か月目に手術が必要になる可能性も出てきました。
せっかく私達の元に生まれてきてくれたのに、健康で丈夫な身体に産んであげる事ができず、毎日罪悪感でいっぱいで自分を責め続けてしまい涙が止まりません。
それでも私達の元にきてくれたんだと思うようにしても、赤ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。
不妊治療をして沢山薬を使ったからでしょうか。子供を授かりたいという一心で不妊治療をしましたが、私のエゴだったんでしょうか?
育児を楽しみたいのですが、自分を毎日毎日責め続けてしまいます。
どうかよろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生まれ変わる
ミニーさん
ご相談拝見させて頂きました。お辛い中で書かれたと思うと、私などが何をお伝えできるのか全くわかりませんが、乱筆ではありますが、少しでもミニーさんのお力添えになりますよう私なりに回答をさせて頂きたいと思います。
「子供を授かりたいという一心で不妊治療をしましたが、私のエゴだったんでしょうか?」との事ですが、私はエゴだと思いません。子供を産む喜び、育てる喜びを望んで何が悪いんでしょうか?それをエゴと言うのなら全てはエゴに思えてきます。
生苦(しょうく)と言う言葉が仏教にはあります。
これは「生きること」ではなく、「生まれること、生むこと」を意味します。生とは、「生まれることが、生むことが思い通りに、願い通りにならない」事をさしています。自分がこうあって欲しいと願うのと真実とが、離れてしまい受け入れらない状態が苦しみの原因です。
お釈迦さまは「人は生まれながらにして運命は決まってはいない。生まれによって尊い者になるのではなく、人は行いによって、愚かな者にも尊い者にもなる」と仰っています。つまり「生まれ変わる」と言うことです。
人が肉体を持って行える時間は無限ではなく有限です。限られた時間しかない中で、人は生きて行かななければなりません。
今はミニーさんの中には、自責の念で冷たい悲しみの雨が降り続いている事だと思います。あたりまえだと思って生きるのか、有難いと感謝しながら生きるのかはミニーさんの行いによって変わります。悲しみの雨が晴れた時、「生まれ変わる」のかもしれません。
乱筆で申し訳ございませんでした。同じ子を持つ親として、お寺よりミニーさんを応援しております。 合掌