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これからの子育てに自信が持てません。

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有り難し有り難し 49

3人の子供の母です。
長男と次男について悩んでいます。

長男はいわゆるニート。
定時制高校に在籍はしていますが
学校もサボりがちで、アルバイトもしていません。

親は煩いから嫌だと言って
現在は姑と2人で暮らしていますが
先日、姑から『もう2人でやっていくのは限界だ』
と、言われてしまいました。

本人は家に帰る気は全くありません。

次男は反抗期なのかもしれませんが
私のいう事にはことごとく反論してきて
終いには私の人格批判を始めます。

中学生までは
男の子にしては珍しいくらいに母親と仲良しだったので
そのギャップに心も頭もついていけません。

3人の子供のうち
2人もがそんな状態で
この先どうやって子育てに取り組んだらいいのか、

もはや子育てをする資格がないのではないか、
と、毎日悩んでいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間は否定に弱い

年頃の子供に対して母親が絶対に保有してはいけない三つの家庭内核ミサイルがあります。
・心 配ミサイル(´・ω・`)
・注 意ミサイル(´゚д゚`)
・不機嫌ミサイル(-_-;)
どうです?かれこれ打ち上げてしまったのではないでしょうか。
子供が寄り付かなくなるママさんのほとんどはこの三つの核を常用しています。
①心配がなぜいけないのか
心配は一見愛のようであっても結局、不信なのです。
その子を信じてないのです。愛情を示すのであれば「任せる事」です。
子供は母親から信じられる、任せられることで安心感を得てイッチョマエになります。
お前はまだまだ…母親が子煩悩オーラ全開に心配という名の下で子供の成長を妨げているのです。自立したい年頃なのです。
②注意がなぜいけないの?
注意も否定エネルギーです。アドバイス、助言、ナイス情報として提供する形であればいいのです。
×~しちゃダメ、~しないの、
◎~するとイイ、~してくれると助かる
会話の語尾の節々にNOT,ではない、ダメ、~ない、的な言語表現があなたのクセとしてあるものと思われます。それをやらなくなったママさんはうまくいきます。
男の子はプライドを認めてヨイショ式で送り出してあげる育て方が一番です。
③アタシ…不機嫌、かしら…?
不機嫌は本人に自覚があまりありません。ため息、暗い顔、ネガティブオーラ、マイナス発言、も不機嫌の一種です。不機嫌は罪です。周りに悪影響を及ぼすからです。
この世は思い通りにならなくて当たり前なのが人生であるのに、思い通りにならないことに対して思い通りにしようとするから女性の多くは不機嫌になるのです。
仏教では思い通りにならないこと、避けられない事を「苦」といいます。
そういうもんだから、と母親がどーーーーんとうつわの広い母ちゃんになる事で子供の方でも、ああ、これなら大丈夫だ、と窮屈感が無くなりますわよ。 (*^▽^* )
まとめ 総じて子供にはダメ出しをせず、失敗や非も肯定し、承認、自信をつけさせること。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

木の上に、立って見る

ellyさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

お子さんのご様子に大変に悩み、心配をなさっているようですね。
でもそれは親として当然の心境ですし、それをわかってくれないお子さんがたに、私も文句を言いたくなってしまいました。

昔、習いました。
「親」という字は、木に登って、木のてっぺんに立ち上がってまで子どもを見守ろうとする、そんな心を表しているのだと。長男も次男も、ellyさんに甘えているように私には見えます。ネグレクト(育児放棄)という言葉を聞くことが珍しくない昨今、ellyさんは「親」を全うしていらっしゃいますし、子育てをする資格に充ち満ちていると、私は思います。

ひとつ思うのは、「木の上に立って見る」とは、子どもと一定の距離をとり、信じて見守る姿なのだと思います。手助けしたい、口を出したいという気持ちをグッと抑えて見守るのも、親として必要な時なのかもしれません。

お子さん方が大人になり、独立し、親になった時、ellyさんのお気持ちが身にしみて分かる時が来るはずです。今はおつらいことと存じますが、3人のお子さん方に向き合いつつ、その日を信じてお過ごし頂ければと思います。また苦しくなった時には、hasunohaにご相談下さい。

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有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

質問者からのお礼

ありがとうございます
いっぱいミサイル打ち上げてました󾫵

そう言えば、
心配するのはかってにしてるんでしょ!

頼んでないから( ー̀дー́ )
と言われた事もありました。

心配するのは当たり前でしょ!
何が悪いの!?と思ってました。
心配が不信の現れと感じるから反発されるんですね(T_T)

確かに不信感ももっていました、が
………堪えてみようと思います。
何もかも放置で良いわけでもないので、
注意を促すタイミングもご指導頂けたら

ありがたいです。

よろしくお願いします。

そうですよね。
私も否定されるとむきになって、攻撃を開始してしまう事がよくあります。
子供は親の鏡なんですね……

浦上様、ありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ありません。

しばらくはあまり細かいことを言わないように努力中ですが、
なかなか難しいです(泣)

次男との関係は少し変化しつつあるかな…と、ホッとした矢先、先日連絡もなく午前様でした。

どんな声掛けをしたらいいものか
まだまだ、溜息の日々です。

木に立って見る
距離感が難しいですね。

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