後悔と自己嫌悪がとまりません
高校三年生です。今全く勉強にてがつけていません。現状を抜け出したいのに抜け出せなくて困っています。
この原因は夏にあります。
私は休校期間、他の受験生に差をつけようと、毎日17時間半の勉強を続けていました。自分に実力がついているのが感じられて、とても楽しい時間で、もっともっと勉強したいと、食事中はもちろん、お風呂でもトイレでも1秒でも勉強時間を増やそうと努力しました。
でも、そのあとに全然予期していなかった事態が起こりました。とても悲しいし、悔しいしで、心がズタズタになりました。あと一秒早く行動を始めていたら…とか、なんであの時違う判断を下せなかったんだろう…とかとてつもない後悔が襲いました。
今までの人生でこんなことは一度もなかったし、人生は運だ!人生は紆余曲折あるものだ!と割りきろうとしましたが、頭からその出来事が離れませんでした。
そんな事態が起こっても、大学受験は待っててくれないので、勉強は続けていました。でも涙が止まらなくて、前が見えないしで、全然進みません。思い出さないようにしても、勝手に涙がでてきて、だんだん勉強するのが辛くなってきました。朝起きるのも起きた瞬間から心臓が引っ張られているように重くて起きるのも辛くなりました。心の平安を優先すればまともに勉強できるのではないかと思い、よく寝るようにしましたが、特に効果なし。食事中は家族が見ているテレビを私も見ました。その時間はよいのですが、見終わるとすぐに心が荒れます。夏の勉強時間は4~8時間でした。机に向かってはいるものの、本当に「勉強してる」時間はどんどん減り続け、参考書を見ても何も頭に入ってこなくなりました。成績は急降下し、焦り、でも何も頭に入らなくて潰れそうです。
後悔しても時間は巻き戻せないことはわかっているのに、離れません。原因となった出来事の記憶を消したいです。大学に入ってもこんな状態で勉強し続けなければいけない、就職してもずっとこんな精神状態でいなきゃいけないのかと思うと自殺したくなります。大学入試という人生をきめる大事な時期にこんな状態になっている自分が情けなくて死にそうです。
まとまりのない長文を読んでいただき、ありがとうございました。ありのままを書いたかんじです。
過去のことを気にしないで前を向いていきたいです。どうしたらいいかアドバイスをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
忘れることはむつかしくても
こんなこと何度もやってきたのかもしれないと思うと少しは楽になるかもしれません。
たいてい、この一生涯のことしか覚えていないので、まじめな人は、なるべく立派に完璧に人生を歩みたいと計画を立てます。不真面目な人は適当に生きています。まじめな人は、完璧にすべき計画が少し狂うと、真っ白な服に泥の汚れが少しついたかのように気になります。不真面目な人は、人生に躓いても、じゃ、次は頑張る、と、すぐに立ち直るかもしれません。
不真面目なほうが良いというわけではなく、まじめにしっかりやるついでに、もう一歩踏み込んで考えてほしいのです。
この人間界に生まれた人生だけが人生でしょうか。生まれる前はなかったと言えるでしょうか。
仏教の世界では、誰がどんな過ちを犯しても、どんな苦難に陥っても、「今回は、こうなっちゃったね。では、次ぎ、頑張ろうか」という態度で、周りも本人も考えます。
タイの体育の先生が事故で全身ほぼ不随になってから仏教に触れ、その後、幸せに生涯を終えたりします。
最愛の夫を亡くして泣き崩れる妻に対して釈尊は、「あなた、なんで泣いているの?」「夫が毒蛇に噛まれて突然死にました」「あなたは無数の前世の中で八万四千回も夫に先立たれてそのたび泣き崩れてましたけど、まだ飽きませんか?」「私にとってこの夫スディンナは特別です」「八万四千回と言ったのは、全部、スディンナという名前の人だけですよ。他の名前の夫も含めたら、数え切れませんよ」
そこまで聞いて、その妻は正気に戻り、夫の葬儀をしっかりやり終えて、子供や義父母の世話をしてお坊さんたちからも称えられるほどの人生を送りました、とも言われています。
起こってしまったことはもう済んだことで、過去の業が足を引っ張ったかな?くらいに考えて、さて、今回の人生のこれからをどのように生きるべきかと、傷つきながらもさらに前に進むこともできます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。確かに完璧に計画通りにこなそうとしていました。理転して遅れを取り戻そうとしていたこともあり、動揺してしまいました。切り替えていこうと思います!