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苦しいです

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看護大学の4年生でつい先日ずっと念願だった保健師の採用試験にも合格してあとは国家試験だけなのですが、大学側からの圧が毎日苦しくて死にたくおもっています。

信頼していた教員がいなくなった代わりに新しく来た人が、貴方は保健師になれない看護師になれない、人を見捨てるような人間になると繰り返す言葉が忘れたくても忘れられず毎日突然思い出されては泣いてしまいます。

自分は気が弱いのでそんな人間に誰かを守ることは出来ないと言いたかったのかもしれません

人を支える仕事だからしっかりしていないといけないことはわかっています。この程度のプレッシャーで折れるなと言われているのかもしれません。

でも大学からくる脅しのような文面と教員の人格を否定するような言葉を嫌でも思い出してその度に手が止まって何も出来なくなります。

今投げ出して内定をくれた職場や今までに支えてくれた人にも迷惑をかけることが苦しいです。

でもいま生きていることも苦しいです。

死んだら悲しまれるかもしれないこと自体が重くて苦しいです。存在ごとなかったようにしたいです。

私のように弱い人間は誰かを助けるような仕事をしてはいけないのでしょうか

苦しくて仕方ないときどんな風に考えたら心を落ち着けていられますか


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

弱いのではなく、誠実である

こんにちは、初めまして。

「大学からくる脅しのような文面と教員の人格を否定するような言葉」に悩んでいるとのこと。前者はどのようなものかは想像し難いですが、後者についてはある程度具体的なのでお答えができるかと思います。

「貴方は保健師になれない看護師になれない、人を見捨てるような人間になる」とその「教員」が言ったそうですね。あなたはその発言の趣旨を「私は気が弱いのでそんな人間に誰かを守ることは出来ないと言いたかった」のだろうと謙虚に受け止めようとしています。

その「教員」は、知識や技術を伝える人であって予言者ではありません。
あなたが、「保健師になれない看護師になれない」となぜ言い切れれるのでしょうか。あなたは、「看護大学」で学びきって、「念願だった保健師の採用試験にも合格してあとは国家試験だけ」にまで努力できる人なのです。そして、どんな厳しい言葉でも謙虚に考えようとする人間性をもった人です。資格十分です。

その「教員」も教育者なのに、生徒を見ながらこの生徒には厳しく導く、この生徒には優しくほめて伸ばすなどの裁量が分かっていないのではないかとも思います。現にあなたは、「信頼していた教員」の元では上手く成長できていたのでしょう。単に、宜しくない「教員」にたまたま出くわしてしまった、という客観的な見方も必要ではないでしょうか。

「私のように弱い人間は誰かを助けるような仕事をしてはいけないのでしょうか」と煩悶されています。「弱い」とは思いません。人の言葉を正面から受け止めて考え思い悩むことを誠実と呼びます。馬耳東風で右から左に聞いて人の話を聞かない人は傷つかない代わりに、人を傷付けても気づかない、何とも思わない人に成るのでは。それを、強いというならば私はそんな人間に成りたいとは思いません。あなたはどうですか。

傷つく人は、他者が傷ついたことを敏感に察知します。それこそ、「保健師」さん「看護師」さんに適職です。見た目の傷だけでなく、その人の内面にまで思いを致せる。そんな「保健師」さん、「看護師」さんが沢山いてくれる社会はとても素晴らしいです。

元気を出して。
あともう少しです。
もう少しで、あなたのフィールドは大学から職場に、社会に移っていきます。
あなたそのままで、今まで通りマイペースで歩んでください。

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おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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あなたなら大丈夫!絶対に大丈夫!

ご質問拝読いたしました。
国家試験を控えて、
プレッシャーMAXですね。
たいへんな思いをされていること、
御同情申し上げます。
愚僧も医療福祉系の国家資格を
3つ取得しています。
いま主に使っているのは、
骨接ぎですが、
免許がなければ、
仕事ができません。
無資格、無免許になりますからね。
本当にひきこもごも、
国家資格を取得できないと、
内定取消にもなります。

プレッシャーをかけたからと、
言って受かるものは受かる、
落ちるものは落ちます。
たまたま体調不良で、
落ちた方は
よく年受かっています。
ある一定のレベルに
届かない方は、
何年やっても受かりません。
これは何をやってもダメと、
いうわけではなく、
もちろん、
人からのプレッシャーでは
絶対にありません。
何としても受かりたい、
という自覚をもち、
本人が内面的な改革を
起こせるかどうかです。

しかし、
その教員の言動には
不快感を持ちますね。
ごめんなさい。
失礼な言い方ですが、
臨床、現場を知らない方、
そんなイメージです。

手当てとは、
手を当てること、
患者さまに変わり、
患部をさすることです。
そして
人のお世話をすること、
お役に立つことです。

現場では、
良くなって欲しい、
笑顔でいて欲しい、
と祈りながら、
勤めさせていただいています。

現場では、
目の前の患者さまを
絶対に否定しない。
常に肯定して、
肯定して、
お話を聞いて差し上げる。

こんなところから、
患者さまとの信頼関係が
生まれるように思います。

愚僧は、
体の続く限り現役を続けます。

どうかあなたも、
いまのお優しいお気持ちを
大切にして、
将来目の前の患者さまの、
天使でいて欲しいと思います。

あなたなら大丈夫!
優しいから、
思いやりがあるから、

ご活躍を祈っています。

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

ありがとうございます、重い気持ちが随分なくなりました。
自分では気づかない間に視野が狭まって客観的に見てみるということが出来なくなっていました。
これから出会うだろう人達を動じず支えられるような人になるために全力を尽くします。
無駄に入っていた考えや力が抜けてしっかり集中出来そうです。
つらい時にはこの頂いた言葉を思い出して頑張りたいと思います、本当にありがとうございます。

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