過去の過ちを思い出しては後悔の念しかない
こんにちは。20歳の女です。
私は、どうしようもなく常識のなっていないクズみたいな女です
小学生の頃、友達の家の冷蔵庫を勝手に開けて物を食べたり、友達と遊ぶ約束を意図的にすっぽかしたりしていました。他にも、絶対に静かにしなければいけない時に友達と騒がしくペチャクチャ喋ったり、借りパクをしたまま、友達の家の花瓶を割ってしまった、友達の家族に食べに連れて行ってもらったのに親に言わなかった、友達の家族の前で友達の悪口を言ったなど本当に非常識なことばかりしています。小学生の頃部活でキャプテンをしたことがあるのですが、かなり暴言や目の前でその子の悪口を言ったり、お世話になった人にお礼を言わず去る等他にもとても最低なことをしていました
私は習い事もしているのですが、いろんな教室を辞めたりしていてもしこの先その習い事に関する仕事に就くとなると、悪い噂しか立たなくなりその世界で生きていけないようになってしまいます
高校生の頃、友人関係で非常にショックなことが起こり、たくさんの人を傷つけ最低なことをしてきました。苦しくて辛くて毎日泣いていましたが、これは今まで自分がしてきたことへの罰だと思うと耐えることができました。(習い事の教室を辞めるのを繰り返すようになったのもこの頃からです)
ずっと死にたいと感じ、不登校・自傷行為も経験しました。飛び降りようとしたのに怖くて飛べませんでした。死ぬことで過去の過ちを償えると思ったのに死ななかった(償えなかった)自分に失望しました。
私は最低な人間です。そのくせ、胸を打つ音楽、素敵な絵画、心に響く名言や漫画や本、人を励ます本などに触れるととても感動して涙を流すこともあり、これからも頑張ろうと思ってしまいます。同時にこんな最低な人間がこんなことを思っていいのか、と感動することや努力が報われることや幸せなことに罪悪感と後悔と懺悔の気持ちが押し寄せてきます。
こんな私ですが、今は楽しいバイト先にも出会え、とても優しく楽しい友人たちに恵まれており、楽しいです。ですが幸せな時間が、怖いです。いつか幸せだと感じた罰が来ます。
自分の感情に罪悪感を持ちたくないです。
今からでも変わりたいと本当に本当に思います。こんな私でも過去をリセットし、真っ当な人間、人生を送ることは許されるのでしょうか?
ちぐはぐな文章で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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これからのまぁさんの明るい人生をお祈りしております
ご質問有難うございます。
拝読させていただきました。
ご文章を読む限り、まぁさんは人を傷付けたことも後悔されているが、ご自身も傷だらけだったんですね。。
生きていれば必ず過ちを犯すものです。過去の自分の過ちを後悔されているようですが、今からでもまぁさんは、人生を送ることができます。言ってはいけないことを言ったり、やってはいけないことをやったり、間違ったり失敗することも人間なのであります。
問題はそのあとです。そのあやまちをどう受けとめるのかです。
ふてくされたり、他人のせいにしたりして事実から眼を背けることはよくありません。身から出たサビといわれるように、だれも恨むこともよくありません。現実をしっかりと受け止めて、過ちを通して学ぶんだり、気づいたり、覚めることもあります。
あやまちは人間や人生を決めない
あやまちのあとが人間や人生を決めていくのです
「法華経」は懺悔に始まり懺悔に終わる教えだといわれています。まぁさんが過去の罪の重さのことを考えてしまうのも、成長されてきたからかもしれません。
私は、「悪いことしたな」と自覚されることから、生かされている自分に気づき、他の人にも優しくできたり、温かい言葉遣いをかけたりできると思います。なので、今は今を楽しめればよいです。
これからのまぁさんの明るい人生をお祈りしております。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
これからも頑張ります。