お経について(大きな勘違い)
またよろしくお願い致します。
私は今まで、告別式等で、御坊様があげる「お経」とは
亡くなった人が迷うことなく浄土に辿り着くようにと、
お祈りをしている感じに捉えていました。
しかし、本日、NHKのテレビを見ていたら、
「お経」とは亡くなった人のためではなく、
残された人のために、あげていると聞いて
びっくりしました。
これは本当でしょうか?
私は既に終活を始めていますが、
後継者等がいない夫婦なため、最終的に一人になって
自分にとって残された人という存在が無い場合は、
「お経」は必要無いということでしょうか?
もう一つ、疑問があります。
よく「亡くなった人の魂を慰める」という言い方を聞きますが、
亡くなった人の魂は、今、生きている人が慰めてあげなくては
いけないほど、悲しんでいるということでしょうか?
この「慰める」という言い方が気になります。
以前、テレビで見たのですが
夫が病気で激しく苦しみながら息を引きとった時、
奥様が泣きながら「あなた、やっと楽になれて良かったね」と
声をかけたそうです。この気持ち、よく分かります。
たとえ病気で亡くなった人も、痛み・苦しみを持った肉体から
解放され、浄土で安らかにニコニコしていてほしいです。
だから「慰める」という言い方は、浄土でも苦しんでいるみたいで、
違和感があります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お葬式は
メインは亡くなった人の為に行っておりますが、
同時に残された人の為のものでもあります。
お経はお釈迦さまの教えが説かれている文章ですので、どうしたら苦しみから解き放たれるか、亡くなった人がどこにいくのか、真理とはなにか、そんな事が説かれています。
亡くなった人が迷いがないよう、道筋をつけ導く儀式が葬儀式です。
その旅立ちに対して頑張ってくださいねというのがお経であり、
導いてくれる仏さまへのお供え物でもあります。
同時に、苦しみに向きあう事が仏教ですので
残された人の悲しいという苦しみを和らげる意味でもお経をお唱えします。
残された人の心がきれいになって 亡くなった人に向かえるようにお唱えします。
お経は呪文ではない。
お経をあげたから成仏するとか
あげなかったら地獄に堕ちるとか
全く関係ないことです。
読経は
参詣者だけでなく
亡くなった方にも説法している
ということですから
参詣者が居ないお葬式でも
読経しますよ。
また
亡くなった方は
仏さまに救われて成仏されますから
我々が改めて慰める必要もありません。
ただ感謝して礼拝するだけです。
質問者からのお礼
和田 隆恩様・亮智様
お返事有難うございました。
実際には、仏様に救われて成仏するのですね。
亡くなった人のためでもあると聞いて
少し安心しました。