子供が親を選んで生まれてくるのか
こんにちは
質問があり、メールいたしました
子供は親を選んで生まれてくる
そう、私はある宗教家の方に言われました
普通に考えたら
精子と卵子が受精し、
子供ができるから子供が親を選ぶんじゃなくて、親が勝手にその子供を産むというのが通常な考えだと思うのですが
それはあくまで生物学的なものでしょう
生物学的ではなく
宗教学的と申しますか、
スピリチュアル的にですかね
そうした考えとしては
親が子供を選んで
子供が生まれてくる、いわゆるこれは通常の出産
または
私がその方に言われたように
子供が親を選んで生まれてくるのか、
それぞれお坊様に
考えを
また間はそれぞれの宗派的な考えでも構いません
お聞きしたく投稿致しましたが、
考えを教えていただけないでしょうか私はずっとその事について悩んでおります
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あくまで私見です。
武骨さんのご質問には、お答えする方によってかなりの差があるかと思いますので、あくまで私見としてお聞きください。
私は、選んでくると考えています。証明せよと言われてもこれがそうです。ということは難しいですが、様々な角度から考えることはできます。
例えば、この世はすべて原因と結果の繰り返しです。偶然はないとなれば、親子の関係も偶然ではないはずです。それぞれ環境も違い、すべての条件が異なった中でスタートとなりますが、物心がついてくると周囲との違いを感じ、やがてはその原因を探ることなり、そして納得できる答えを求めます。私はゆえに親を選び環境を選び、そして、この世で体験したいことを望んで生まれたのでそれを体験しているだけだと思いました。
また、死後の世界も生まれてくる前のことも証明は難しいです。私は人は、魂と意識と肉体から成立していると考えていますので、死は肉体の変化(滅する)のみで魂も意識も継続していると考えています。ゆえに目に見えない世界から、この世に誕生し、やがては再び目に見えない世界へと次元を移すだけだと思います。
生まれることに対しても、目に見えない世界(次元)から来る?ゆえに、生まれる以上は何かの目的があるはずです。今度生まれる時には、なになにを体験しようと思うゆえに、自分のやりたいことを果たすために、そのためには諸条件の揃う両親を選ぶとなります。
お経には、私たちは仏と同じ性質を持っていると説かれています。ゆえにそのことに気づけはいいとあります。でもそのこと知っていても、それを体験したいとも思っています。ゆえにそれが体験できるのが、この世なのでしょう。
あくまで私見であります。ただこれを証明することは、この世を去る時に去った後に気づくことができるとも思っています。それ以上に本当は生まれてくる前には知っていたのでしょう。しかし、すべてを忘れるようになっているのかもしれません。それは忘れた方が純粋に真剣に体験できるからとも思います。
「選択」の時、そして意味
ご相談拝読しました。この手の質問はこれまでにも沢山ありますので過去質問も検索して色々学んでみてください。
さて、結局は「わからない」という壁を超えられないのがこうした問題ですが一緒に考えてみましょう。
「生まれてくる原因がある」というのと「親を選んで生まれる」というのは=ではないと私は思います。
たしかに仏教では因果の道理を説きますので原因がなく物事が起こることはありません。私たちがこうして生まれて来たというのは生まれる原因があったということです。
それは宇宙の始まり(もちろんそれ以前も含む)から生命の誕生、そして両親の出会いを経て精子と卵子が受精し誕生するというのが原因です。こうして書いてみるとあっけないですがよくよく考えてみるとこれは凄い神秘的なことです。
仏教的には輪廻転生を説くため、煩悩が尽きず迷いの生を解脱できていないため再び生まれるとも言えます。
では、その現象的な誕生、そして仏教的な解釈による誕生において、あなたは親を選びましたか?
これは実は「生まれる前の問題」ではなく「生まれてからの問題」ではないでしょうか。
結局は分からない以上はいくら考えても答えは出ません。しかしこうした問いを持つという事は、既に生まれたあなたが今ここでご自身の誕生に何らかの揺らぎを感じているということなのでしょう。
選ぶというのは主体性の問題です。責任を引き受ける、事実を引き受けるということでしょう。
自覚的には私たちは生まれてくる時代・地域・性別・家庭・能力・容姿…何一つ選んでいません。気がついた時にはこの私として生まれ、存在していました。
その私が私という存在の事実、そして自ら生きていく責任を引く受けるというのが主体的な「選ぶ」という行為です。
それは親がこうだからとか、環境がこうだからまあこれでよかったという条件的なものではなく、もっと根源的に自分自身の存在そのものを受け止めるということです。
たとえ条件的なものは私の思いと違ったにしろ、どこまでいってもこれが私だ。私は私でしかないのだ。
とい名告りこそが意味ある選択です。
そうでなく、「自分で選んだのだから全部あんたのせいや」的な解釈は不都合の責任を子に押し付ける親のエゴでしかないでしょう。
親も子も、双方選んでいないし、そもそも選べない。
生物学的に考えても
子どもを作る行為はできても
子どもが授かるかどうかは人智を超えています。
不妊治療も100%ではありません。
たまたま
人として生まれた
その親の子として生まれた
それだけのことです。
その後
親子として生きていく中で絆が育まれ
必然性を感じるのだと思います。
質問者からのお礼
短期間のうちに多くの回答をしていただき、ありがとうございます
結局この問題に関しては誰もわからない
それぞれ人間の私見によるもの、それだけしか言えないですね
難しい問題でしたが、真摯に答えていただきありがとうございました