人徳とは何でしょうか?
年末多忙の時期、しかもコロナ禍のさなか、恐れ入ります。
かれこれ10年前、勤めていた職場をリストラで追われ、どうにか生き延びて参りました。10年をへて、その当時の慢心や、先般ついに手帳まで頂いた障害など、自分自身の上に反省すべき点も多々見い出しつつあります。
にもかかわらず、その当時、とある方から言われた言葉がやはり折に触れて脳裡に甦ります。しかも抗弁しようにも、その方は数年前に急逝なされ、いまはお浄土に。その言葉とは、
「ピンチに出くわして、すぐに救いの手が伸びて来ないのは、人徳がない証拠」
というものです。なるほどな、とも思わされますが、同時にやはり、「ちょっと待ってくださいよ!」という思いもございます。
そのかたは生前、仏教者として特色ある活動をなさった人であり、みだりに批判することは倫理的にも強く躊躇(ためら)われます。それでも、そのかたがお遺しになった会社が、今般のコロナ禍でかなり四苦八苦している様子を人づてに聞かされますと、心の中に「どうしました?人徳がないから左前になるんですよね?」という、どす黒い思いが湧いてこないと言えばウソになってしまいます。
そのかたとは私がリストラされるまで、ご縁あって、幾度か帰り道に御一緒したこともあるのですが、10年前、突然の(……会社側からすれば兼ねて計画していたとおりの)リストラで苦痛の極にあった私へ、「君の声は某宗教の布教師どもの声そっくりだ。不快きわまる!」というお言葉もいただいております。自分は声がやや甲高いので、それが不快感を与えてしまったのか…と思い余った末、喉仏に男性ホルモンか何かを注射して治してもらおうとすら考え、これは家族みんなに止められました。
さて、ようやく立ち直ろうとしている今、この疑問に対する自分なりの答えも日ましに脳裡で形をなしつつあります。このうえ回答僧諸師をお煩わせするのはいかにも申し訳ないと思いつつも、皆様の多年にわたる御回答経験の中から、大所高所に立ったお言葉を頂けたらと念じております。
もっとお苦しみのかたが沢山いらっしゃいます。でも、どなたかお手すきの折に何か無形の御守りともなりそうなお言葉を頂けたら幸甚です。以上、ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「黒い思い」を抱くあなたの立場を明確に
こんにちは。
その「生前、仏教者として特色ある活動をなさった人」の宗派が分からず、どのような考えのもとに「人徳」を語ったかは当方には分かりません。修行等によって「徳」が高まると考える宗派もありますし、私のような浄土真宗では衆生の側の功績による「徳」の高まりを一切ないと考える宗派もあります。
また、そのお方が「君の声は某宗教の布教師どもの声そっくりだ。不快きわまる!」と言ったことについては、その発言の意図が分かりませんし、その会話の前後関係も不明なので何とも言えません。
よって、そのお方との関連については、不明な点が多く想像になってしまうのでコメントはしません。
ただ、「人徳」とは語義で言えば、その人に備わった特色、性質という意味合いだと思います。それは、仏徳に育てられた「人徳」もありましょうし、仏教的なところ以外で育まれる「人徳」もありましょう。
「人徳」は、あくまでもその人に備わったものがどのような影響を他に与えるかとことです。一方、「そのかたがお遺しになった会社が、今般のコロナ禍でかなり四苦八苦している」こととあなたは書いています。昨今のような世界的な経済的な影響をひっくり返すほど「人徳」が万能なわけではない、と思います。
そもそも「人徳」とは、その人の生きる軌跡が人々を自然と引きつけるものとしてその人に備わったものです。経済的な有益性を意図したものではありません。
あなたは、「どうしました?人徳がないから左前になるんですよね?」という「黒い思い」が湧いてくるのですよね。
前提として、あなたはどういう立場でその思いを持つのですか。仏教者としてですか。それとも仏教外の人としてですか。仏徳のもとで人徳を高めようとする人ですか。それとも人徳を道徳倫理の観点でのみ考える人ですか。
「黒い思い」をどうしていきたいのですか。
「黒い思い」を抱く「生前、仏教者として特色ある活動をなさった人」にどう向き合っていけば良いのか。「人徳」の問題を含んで、あなたは過去に影響力の大きかったその人との関係性、言われたことの整理がつかないということが根本にあると見受けました。自分の立場、方向性を明らかにしつつ、その人からの言葉を自分の中で交通整理してくべきではないか、と思いました。
追記
ご返信ありがとうございます。
字体のことはご放念ください。
また御縁ありましたら。
質問者からのお礼
釈悠水さま
御多用の中、私の心の整理に大きく資するお言葉の数々、誠にありがとうございます。亡き人のプライバシーにもかかわるので、あまり細かくは書けないのですが、私もそのかたも、真宗の教義にはいろいろな機会を通じ、一般の人よりは相当に触れて来ておりまして、「浄土真宗では衆生の側の功績による『徳』の高まりを一切ないと考える」ということは、相当に認識してはいるはずなのです。
にもかかわらず、そのかたをして、この質問で御紹介申し上げたようなことを言わせてしまったほど、そのかたの眼にあの当時の私がいかにも度し難い、どうしようもない人間と映じていたのだな、と改めて痛感しております。
お浄土のそのかたに許してほしい。と同時に、それでも理解してほしい、と願いつつ、後半生を御縁にあらがわず、生きて参ります。
法水さまがおっしゃった、「自分の立場、方向性を明らかにしつつ、その人からの言葉を自分の中で交通整理して」参ります。前田敦子さんではありませんが、こんなことがあったけれど、仏教や真宗が嫌いになったわけではなく、それどころか、「交通整理」には仏教しかない、と考えております。このたびは誠にありがとうございました。
釋悠水さま
申し訳ございません。尊いお名前を誤記してしまいました。釈由美子さんの本名の「釋」でいらっしゃいますね。非礼の段、どうか枉げてお許しください。幾重にもますますの御活躍を念じ上げます。