hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

消えたいです。

回答数回答 2
有り難し有り難し 13

もう半年ほど前になりますが、私の兄が自殺しました。
しばらくは茫然自失といった感じで、あまり現実味もなく葬儀など終わらせ、とにかく仕事に打ち込む毎日でした。
その間は家に帰り1人になったとき涙が勝手に溢れたり、言いようのない自己嫌悪に苛まれていました。
 

最近になって兄について頻繁に思い出すようになり、まるで首を絞められているような感覚と、朝起きた瞬間から激しい動機や倦怠感を感じるようになりました。
いけないとは分かっていますが、自殺を考えてしまいます。
幼少期より家庭環境は悪く、私にとっては唯一の家族といえる兄がいなくなってしまったことで、昔から抱えていた辛さなどと重なって、もう耐えられないのだと思います。生まれてきたことが間違いだったと強く思います。
 

しかし、どういった方法であろうと死ぬことはほかの皆様に大変ご迷惑をおかけします。なんとか心療内科に連絡はできたので、少なくともそれまでは生きなければと思います。
そうして生きる理由を無理に作って死のうとしない自分にも嫌悪感を抱きます。
 

こういった時、気持ちを静めて希死念慮をなんとかやり過ごす方法はないものでしょうか。
まとまりのない読みづらい文章で恐れ入りますが、お教えいただけますと幸いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

消えたいのですね

ねねさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

半年前に、お兄さんが自死されたのですね。それから、ねねさんはしばらくの間、茫然自失としていて、現実味がないまま葬儀を終え、毎日仕事に打ち込んでいたのですね。けれども、その間、家で一人になった時には、涙が溢れてきたり、言いようのない自己嫌悪の気持ちが起こってきた。

最近、お兄さんのことを思い出すことが多くて、そのことで、ねねさんは、首を絞められているような感覚がしたり、朝起きた時に激しい動悸や倦怠感を感じるようになったのですね。そのことで、自死を考えられていると。

ねねさんは、幼少の頃より、家庭環境が悪くて、ねねさんにとって、亡くなったお兄さんが唯一の家族と言える存在だった。けれども、そのお兄さんが亡くなってしまい、ねねさんが昔から抱えていた辛さと重なって、耐え難いのですね。

生まれてきたことが間違いだったと、ねねさんは強く思っているのですか。

心療内科に連絡をとり、それまでは生きなければと考えておられるのですね。でも、そのようなことにも嫌悪感も抱くと。気持ちを鎮め希死念慮をやり過ごすにはどうしたら良いのか、ねねさんのお話をそのように聞かせていただきました。

ねねさんにとってお兄さんはとても大切な、ただ1人の家族だったのですね。ねねさんにとって大事な人だったのだろうということが、ねねさんの言葉から思い描かれます。

大切な人を失った時の気持ちや反応、起きることは人それぞれ異なります。過活動と行って普段よりも無理をして特定の活動に打ち込んだり、涙が勝手に出たり、自己嫌悪する気持ちが出てくることも、けっして変なことではありません。誰にでも起きうる、ごく当たり前のことです。

自己嫌悪の気持ちを抱くことは自然なことで、悪いことではありません。でも、そういった気持ちも含めて、ご自身のことを大切にしても良いのですよ。

生きようと色々手段を模索されている、ねねさんに私は敬意を抱きます。

これは提案ですが、自死遺族を支援する会があります。ねねさんのお住いの地域にもきっとあるんじゃないかと想像します。そういった団体を頼ってみるのはいかがですか?

一人で抱えるよりも、ねねさんの辛さを抱えやすくできるかもしれません。もしよろしければ考えてみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
このお坊さんを応援する

あなたの思いをお話下さいね

拝読させて頂きました。
大切なお兄様がお亡くなりになりあなたは大変ショックを受けておられることでしょう、そしてさみしさや悲しみに心はおおわれてしまっているのかと思います。そしていっそのこと死んでしまいたいと思っておられ、その様な中でも周りの方々にご迷惑がかかると思い今必死に生きていらっしゃるのですね。あなたのその悲しみやさみしさの程は全てはわからないですが、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。

そしてお亡くなりになられたお兄様が必ず仏様に救われます様心から仏様にお願いさせて頂き、真心こめてご供養申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

お兄様は必ず仏様がお導きなさって下さり、親しい方々やご先祖様方がお兄様をやさしくお迎えなさって下さいます。そして皆様と一緒に一切の迷いや苦しみからも救われて心から安らかになられ、心穏やかに清らかにご成仏なさいます。

お兄様はご先祖様方と一緒にこれからもあなたやご縁ある方々をいつも優しく見守っていて下さいます。あなたとお兄様とのご縁はこれからもずっと永遠に続いていくのです。

あなたのその悲しみは尽きることはないでしょう、どうかお兄様を心を込めてご供養なさり、そしてあなたの思いをそのままお兄様にお伝えなさって下さいね。お兄様はあなたの思いをありのまま全て優しく受けとめて下さり、あなたに寄り添いなぐさめて下さいます。

お兄様は与えられたご自分の人生を一生懸命に迷いながらも生き抜いていかれたのではないでしょうか?お兄様は沢山の方々とのご縁の中でかけがえのないその時を過ごされて天寿を全うなさっていかれたのではないでしょうか?
今は心安らかに皆様を見守っていらっしゃるのです。

いつの日かあなたがその天寿を全うなさる時には必ずお兄様がご先祖様方と一緒にあなたを優しくお迎えなさって下さいます。そして共に喜び分かち合うことでしょう。
あなたの思いをここでも教えて下さいね。あなたをいつもお待ちしてますね。又宜しければ「分かち合いの会」等にもご参加なさってみてはいかがでしょう?
http://www.bouzsanga.org/
今はオンラインでも皆さんと分かち合いながらお話させて頂いています。

あなたがこれからもお兄様とのご縁を大切になさり、皆様と一緒に心安らかに生き抜いていかれます様心よりお兄様にお祈りさせて頂きます。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

「身近・大切な人が自死・自殺」問答一覧

部長として友人として、どう反応すべき?

先月先輩が引退してから高校ダンス部の部長を務めています。 私たちは部員不足に日々悩まされており、自分の学年などは私が入部した時学年1人(私だけ)の様相でした。頼み込んで仲の良い友達数人に途中入部してもらって、彼女たちも部活を気に入ってくれている状態で今に至ります。 深刻な人数不足解消のため、もともと私たちの学年で新歓の呼び込みを頑張ろうねと言う話は、前々からしていました。 ここからが本題です。最近、発表に惹かれたと言ってくれた同級生の子たちを、同期の子たちがすごい勢いで呼び込んでいるのです。 SNSで未経験でも大丈夫!最高学年から途中入部でも平気だよ!というふうに入部を呼びかけていて… ほぼ入部を心に決めた子もいると聞きました。 彼女たちが本気で部活の現状を憂いてくれているのはわかるし、皆がうちに興味を持ってくれること自体はとても嬉しくありがたいことなのですが、最高学年(しかも未経験で振り付けも技術も一から教えなければならない)が何人も部活に入ってくることになります。自分達の練習と後輩の指導に加えてさらに仕事が増えるのは明白です。 それに、最高学年の段階で入ってきてくれたとて、今年には引退なので、未来の部活のため、後輩のためにはならないのです。 同期たちが指導を担ってくれるならまだしも、彼女たちは兼部で、もともと出席率が低めです。しかも同学年の中で振り付けを完璧に覚えているのは私ともう1人の子だけなのです。(その子は勧誘活動していません)私たちに負担が集中することは目に見えています。仲の良い訳ではない同学年の新入部員。指導は手に余ると感じてしまいます…。 同輩たちを無責任だと思ってしまう心の狭さに自己嫌悪しかないです。私は沈んでいく船の修理を拒む老害なのでしょうか。 引き継ぎ以降どんどん積み上がっていく部長の仕事にただでさえいっぱいいっぱいなのに、新しい頭痛の種に耐えきれません。 勧誘をやめてなどと言って私が新しい子達を拒絶しているのがバレて、軽蔑されるのが怖いです。だって同輩たちが部のためを思って善意で勧誘活動をしているのは見ればわかるのです。 この気持ちが排他的で自己中で食わず嫌いで、とにかく最低なことはわかっています。でも心がついてこないのです。自分を納得させる方法か、同輩への伝え方のご助言いただきたいです。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

彼の自殺と苦悩

先日、こちらで彼が、わたしと何か言えない事情で別れようとしている、という件についてご相談しました。 その彼から、 わたしとは無関係の、わたしに言えない、彼の抱える問題のために別れよう。他の人と幸せになって。自分問題には巻き込めない。という言い方で別れを告げられました。泣きながらでした。 今住んでいるアパートからはいなくなる、とも言っていました。行き先は言えないと。最近部屋の掃除をしていたので、引っ越し準備だと理解しました。 私のことは大好きだから、俺の問題に巻き込めない、と苦しみながら頑なに言うので。なぜ、どうして、と何度も食い下がるのはやめました。お互いそれなりの年齢なので、背負うものもある、こういうのも人生なのだ、と、思いました。 でも、別れを受け入れるかわりに、 別れるならお互いの気持ちが落ち着いたら友達になろう。 どんなにつらい事があっても生きよう、お互い何かあれば声をかけあい、孤独にはならないようにしよう、 とわたしは言い、彼は頷いてくれました。 その日は別れることに納得したつもりで帰りました。 それでも、翌日に未練が湧いてきました。あまりに未練がましく言うのはいけないが、もう一度だけ食い下がってみよう、と。電話をかけたら、電話が繋がらなくなっていました。 そして、そのあと、彼が自死したことがわかりました。 なぜなぜなぜ、と。片付けしていたのは死ぬためだったのか、と。やむを得ない事情って何?!と。絶対別れないと言えば良かったのか、と。わたしに幸せになれ、と言ってもこんな最後では無理だ、とか。 過去の彼の発言一つ一つを思い出し、脳内が暴走します。 ぐちゃぐちゃと脳内が混乱して、受け止めれないし、彼の旅だったところへ、同じ場所、同じ方法で追えば会えるのだろうか、後を追いたい、とか。 しっかりしろ、と自分に言い聞かすのだけど、疑問、喪失感、自責の念、やり場のない怒り、色んなものが渦巻いて。苦しくて苦しくて、苦しくて苦しくて。 辛いです。辛くてたまりません… 助けてください。。。どうすれば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

私の誕生日前に義弟が自殺してしまった

はじめまして。よろしくお願いいたします。 先日、私の誕生日の4日前に、主人の弟が自殺で亡くなりました。 私はいわゆる機能不全の家庭で育っていて、自分の家族とは絶縁しております。私の誕生日は10歳でなくなりました。母親と同じ誕生日で、母親がそれを嫌がった為です。 そんな境遇を知っている主人は、出会ってからずっと私の誕生日を大事にしてきてくれました。今回のことがあって、この先私の誕生日が主人にとって辛いものになるのではないか、という不安があります。 義弟の葬儀は家族葬で、お義母様のご意向で他の兄弟の配偶者達も参列せずに行われました。ですが、これからの法事には長男の嫁である私は参加しないわけにもいかないと思います。するとどうしても誕生日前後に法事がはいることになるかと思います。 私は祝われないことは慣れていますので問題ありません。ですが主人は昔から私が自分の誕生日を何とも思っていないことを悲しんで、特別な日だよ、君が生まれた大切な日だよ、と毎年少しでも私を喜ばせようとしてくれていました。 なのでこれから毎年、主人が弟を思い出し悲しむ気持ちと、私への申し訳なさの板挟みになるのではないか、と不安に思っています。 そして、そう不安に思うのに、自分の誕生日になど何の意味もないと思ってきたはずなのに、ここにきて少し寂しいと思ってしまっている自分がいます。 2人で笑い合って楽しい1日を毎年過ごさせてもらっているうちに、いつのまにか楽しみになっていたのだな、と気付かされました。 祝ってほしいとかではなく、あの楽しい日がなくなってしまう、ということに心がついていかない、というような感覚です。 言葉を選ばずに言いますと、期待しなければ傷付かずに済む、と凍らせた心を、何年もかけて温めてもらい、やっと楽しみに思えるようになったのに、また心を殺さなくてはならないのか、というような…。 義弟が亡くなったことは心から悲しく思いますし、恨むであるとかそんな気持ちは微塵もありません。 主人に大切にしてもらっているうちに私は相当な甘ったれになったようです。もう一度心を殺せる自信が今の私にはありません…。 でもこんな私を愛して大切にしてくれる主人の気持ちに寄り添い、私になど気を遣わせず、この先ずっと共に義弟を偲んでいきたいのです。 私の性根を叩き直すようなお言葉をいただけませんでしょうか。お願いいたします。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

いつか死んだ子に会いたい

我が子を自死で亡くしました。死後、いくつも心の闇を抱えていたことを知りました。その内容は裏切りでもあり、哀しみでもありました。 以来、想像を絶する悲嘆と悲しみに苦しむ日々です。 私自身、寺に生まれ寺で育ちました。懐疑的な性格であったので、熱心な仏教徒ではありません。 我が子の死と向かい合わなくてはならなくなった今、仏教やキリスト教で何かが救われるかと言うと、やはりまだそこに至っていません。 辛くてメンタルクリニックにも行きましたが、薬が欲しかったのではなく、あの子に会いたい、この苦しい気持ちをどうすればよいのか?という問いに医師は薬を勧めるだけでした。(当然ですよね…。) あの子に会いたい。話したい。抱きしめたい。あの子はどこにいるのか、自分が死んだら会えるのか、と日々問い続けています。 あの子が自分の周囲を彷徨っているのなら、声が聞きたいとイタコにすがろうかと思った時期もありました。霊感を説く宗教にはまってしまう人の気持ちがわかるようにもなりました。イタコや変な宗教には何もコンタクトは取っていませんが、辛い気持ちは何も癒されません。 最近、知人の医療従事者が、私に「自死した人はあの世に行けないんだよ」と言ってきたのは、さらに私を打ちのめしました。 私はいつか会いたい、その気持ちだけのためになんとか生きています。 あの世があるのか?そこで会えるのか? 誰もがわからないその問いでしょうが、 これからこの悲しみにどう気持ちをもっていけばよいのでしょうか。 愛別離苦の辛さだけでも、心が悲しみで爆発しそうです。 倶絵一処というのは、自死した子とは願ってはいけないのでしょうか。あの世があるのであれば、死に方次第でそんなに区別されるものなのでしょうか。 会いたい、会いたい。こう願う気持ちはおさまることを知りません。 体調のことがあって止められていた飲酒をするようになりました。長生きしたくないからです。それでも日々、仕事やボランティア等できることは無理してやっています。時々涙が出てきます。 自死したあの子と会いたいと、ひたすら願いながら。 けれどもだんだん疲れてきました。 自死した子と浄土で会えないならば、何に縋って生きていけばよいのでしょうか。

有り難し有り難し 61
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ