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鬱の人への接し方

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有り難し有り難し 19

いつも、ありがとうございます。

職場での相談です。
私の職場は 小さな会社でアットホームな ところです。
その職場に アルコール依存症で 鬱病の方がいます。
私の知る限り 精神科への入院は 3回目で最近 又職場復帰をされました。
職場復帰されたのですが 元気もなく 話しかけても 反応も薄く 話し始めるまで時間もかかります。
元々は 明るく 人柄も良い人で冗談も言って 笑ったりする方でしたが
今回の職場復帰後は 全く笑わないし 体調の事を聞いても あまり良くない! と言っています。

早く良くなって欲しいとは 思いますが
とても、気を使ってしまいますし
どう接すればいいか 何と声をかければ良いのかわからない時が度々あります。

それで、その雰囲気の暗さに 私まで 気持ちが どんよりしてしまう時があります。

自分が疲れてしまうので
話しかける機会も減ってしまったように思います。
でも、それではいけない様な気もします。
ネットでは 鬱病の人に対して あまり励まさない方が良いと書いていたのを見た事もありますし
私には、何が良いのか わかりません。

鬱病の人に どう接っしていけば良いでしょうか?

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

うつの人だという特別視をしないこと

特別扱いして、気を使うと相手も「病人扱い」されてイヤな感じを受けるものです。
疎外感を与えてしまてもいけませんので、私は普通に接しています。人間だ・も・の♡
うつでなくても、心の浮き沈みというものは誰にでもあります。
元気のない時は、やさしく明るく。
何でもない時は何でもなしに。
こちら側が最初から、こうしようというものは持たない方が自然だと思います。
もちろん相手がこうしてほしいという事があるのでしたら、要望に応えてあげることも大切です。
病が病にならないためには、本人が病であることすら忘れていることが大切なのです。
私も借金(寺のローン)あり、病気アリ、いつか死ぬということがありますが、そんなもん握っていません。
いつでもケロリンです。
そういう心をお互いにケロりんしている方が、自然な関係が築かれると思います。🐸
「私がこうしなくては 私がこうした方がイイと思う
私が思うにこうしよう 」それは みんな わたしの独特ルール。
そういうものを無く接してみてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

気を使って こちらも疲れてしまうので
自然にする様にします。

ありがとうございました。

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