hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自己嫌悪とこれから

回答数回答 3
有り難し有り難し 31

数年前、自分が痴漢をしてしまったのではないか…という恐れについて質問させていただきます(痴漢に性的欲求や快楽を感じたことはありません)。最低なことに、一人で思考することに疲れてしまいました。

上記の考えを抱くようになったのは2年弱前のことです。友人と会った帰り道、ふと頭の中に湧いてきました。SNSで痴漢防止のツイートを見たからだったと思います。それからというもの、自分が痴漢をしてしまったのでは、という思考が止まりません。

確かに事実であるのは、電車に乗っている際、「もし痴漢したら、捕まるよなぁ。」と思ったことがあったということです。これは事実です。一回でもこのような考えをした人間がまともなはずはないと感じます。

痴漢をしていたとしたら、その罪を覚えていないなんて最低だと思います。被害者の方に一生癒えない傷をつけてしまったのですから。しかしそれと同時に、流石に痴漢をしたら覚えているんじゃないかとも思ってしまいます。

また6年前今回と似たように、「自分は万引きしてしまったのでは…。」という考えを持ったこともあります。きっかけはポスターを見たからだったと思います。当時は痴漢の件と同じく、実際にしたか否かが全く判断できませんでした。しかし今では「いや、自分が万引きなんてするわけない。」と、当時の自分の恐れを否定することができます。

しかし、万引きの件を否定できたからと言って、今回の痴漢の件も否定できるとは限らないですよね。実際に自分の罪を自覚しないまま犯罪に手を染めるケースもあると思いますし。

「自分は痴漢していない」→「では、そもそもこんなこと考えないはず」
「自分は痴漢した」→「では、流石に覚えているはずだし被害者に申し訳なさすぎる。」
という考えを持っているということです。

この考えは日によって大きく違い、例えば一昨日は「自分絶対そんなことしない、こんなこと考えるなんて馬鹿。」と思えました。しかし今日は「やっぱり自分は痴漢したんだろうな、ゴミ野郎だ。生きる価値は無い。」と思います。やったと仮定して生きる方が良いことは理解しています。

はっきりしないことが一番怖いです。公に書き込むことで、どうせこいつは痴漢をしたんだろう、と思われるのを怖いと思う自分が嫌です。自分はどう生きていけば良いのでしょうか。生きて良いのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

依るべきものは思考・感情ではない

ご相談拝読しました。記憶が定かでなく、ご自身の思考に囚われやすいこともあって混乱の最中にあることとお聞かせいただきました。

混乱している自分がその自分について判断しようとしてもグルグル堂々巡りするだけです。新たな判断材料でもない限り結局は「こうに違いない」と自分に言い聞かせ、「でもやっぱり…」と不安になることの繰り返しではないでしょうか。

私が心配なのは

>一回でもこのような考えをした人間がまともなはずはないと感じます。

という点です。これは人間という者をキレイな存在として見過ぎです。縁(条件・環境)さえ整えばどんな考えも浮かび、どんな行動をも為し得る危うさをもった存在が人間です。

痴漢を例に挙げていただいてますが、「もし○○(犯罪行為など)したら」ぐらいのことは誰でも考えたことがあるのではないでしょうか。

全ての思考・感情は外環境と関係なく自分で起こすというものではありません。あなたの問題視するそれが啓発ポスターを起因としているように、あなただけの中から出てきたものではないのです。

自分で「こう思おう」あるいは「こう思わないようにしよう」としても外で何か見たり聞いたりしたらすぐそれに引っ張られるのが人間です。つまり思考や感情は園程度のものとも言えるのです。少なくとも最も依るべき根拠となるものではありません。そこを頼りにするから迷うのです。

色んな思考・感情が浮かぶのでしょうが、「ああ今度はこんなものが浮かんできたなあ」と俯瞰し受け流せる練習をしましょう。

思考・感情をコントロールするのではなく、浮かんできたものに手をつけないというか、浮かんできたままに「そんなことも(考えとして)あるものだな」という具合に置いとくのです。それを中心の判断材料にしないということですね。

これからもきっとあらゆる汚い思考・感情が浮かび得るでしょう。でもそれが人間なのです。

その事実を認められたら生きやすくなると思います。それらに飲み込まれ、振り回されるのでなく、それこそが自分だと頷くからこそ、実際にそうしないように気をつけて生きていけるもの。

これからも迷いながら生きて良いのです。迷う者が自分の迷いに気がついたらたいしたもの。思考感情に迷いを超える根拠があるとするのは最も深い迷いでしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

偏らないのがいいと思います。

こんにちは。初めまして。

ご相談内容を拝見して「健康な若い人」という印象をもちました。

実は、お釈迦様のもとに集まり修行していた人も同じように悩んでいたようです。修行者は、性行為はもちろんマスターベーションも禁じられていたようです。でも、健康な10代20代の若者、男性の場合は性器が衣服に擦れるだけでも射精してしまうことがあります。それは、生き物として備わっている「身体のしくみ」ですからどうしようもありません。その件はお釈迦様も苦心されたようで、性行為については事細かくルールと罰則があったようです。

仏教には、戒と律があります。戒は、修行をすすめるための自発的なルール。律は、社会の皆さまに信頼してもらうための他律的なルール。現在の日本はどうでしょうか?  結婚して子供がいる僧侶もたくさんいますね。

もし、あなたが異性と触れることを極端にタブー視しているとしたら、現在の日本社会では、そこまで神経質になる必要はないでしょう。また、電車の中で異性をみて邪な妄想がでてくるなら、まさにお釈迦様の時代から続く仏教徒共通の悩みかもしれませんね(異性と書きましたが、同性に性指向が向く場合は同性と読み替えてくださいませ)。

「偏らないで生きる」が、仏教徒共通の願いではないでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

福祉施設に駐在し、医療・福祉専門職と協働する坊さんです。 ●真宗大谷...
このお坊さんを応援する

ゆっくりと見つめ直して下さいね

拝読させて頂きました。
あなたがふと、SNS等で目に入ったことが頭から離れずにずっとこびりつくよう覚えていて、寝ても覚めてのそのことに振り回されてしまっているように感じます。
人間は何気なく見ている風景やTVのCMや流れてくる音を実はよく覚えているものです。何かの拍子にフッと頭の中から湧き上がってきてまるで交通事故でぶつかったときのような衝撃の様にインパクトがあるものもあるのです。どうしても忘れたくても忘れられないようなものごとはそれぞれの人にあるのです。
あくまで想像ですがあなたの頭の中で「痴漢」や「万引き」がこびりついてしまっているのではないかと思います。そしてあなた自身をマインドコントロールしてしまい、自分がやってもいないことをさもやってしまった様な印象を植え付けているのではないでしょうか。

ですから先ずはゆっくりと呼吸なさってみて下さい、そして屈伸運動やストレッチをやってみてあなたの心も身体も落ち着けて見て下さいね。そして呼吸を整えて力を抜いてリラックスなさって下さい。そうしてあたたかな緑茶等を召し上がって下さいね。あなたの心も身体もリフレッシュなさって下さいね。

そうしてみてあなたの心にゆっくりと問いかけてみてはいかがでしょうか?冷静にあなたの頭の中を見つめてみてはいかがでしょうか?あなたの日々の考えや言葉や行いを見つめ直してみて下さいね。

大丈夫ですからね。あなたがこれからもお健やかに成長なさり、心おおらかに豊かな毎日を生き抜いていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

三浦様
回答ありがとうございます。やったかやっていないのか、ハッキリさせなければ…と感じていただけに、「偏らず、」という考えに感銘を受けました。自分だけでは思考に限界を感じていたので、三浦様の意見を伺って、ホッとしました。本当に、回答ありがとうございました。

Kyosyo様
自分自身をマインドコントロールしている、という箇所が印象に残りました。思えば、これらの件以外にも、かなり病的な思い込みをしていた時期もあったことを思い出しました。思考の癖になっているのかもしれません。このことに気づかせてくださって、ありがとうございます。回答ありがとうございました。

吉武様
思考や感情はその程度のもの、という箇所にハッとさせられました。思い返せば、自分は人の考えや流行に左右されやすい人間でした。客観的に見ることを意識できていなかったのかも知れないです。一つ区切りがついた気持ちがします。回答ありがとうございました。

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

私のせいで姉が嫌な思いを

今月から大学生になる女子です。 私にはもうすぐ社会人になる3歳年上の姉がいます。 私には軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、昔から忘れっぽい癖や怠け癖があります。 一方姉はしっかり者でとても努力家な性格で、私とはまるで正反対と言えました。 私が障害を持っているという事もあり、両親は私の世話にとても手を焼いていたし、迷惑をかけてしまう事もたくさんありました。 そんな私の事で両親が姉を蔑ろにしたような事はよくあった気がするし、私は甘やかされているんだなという事は昔から薄々感じ始めていました。 私も姉も勉強はあまり得意な方ではありませんでした。しかし姉は血の滲むような努力の末にテストで高得点を取ろうが、学年で1桁の順位になろうが親にはそうなんだと適当にあしらわれ。 私の成績が少しでも上がれば、親はひたすら褒めました。障害というハンデがある分、きっと私は特別扱いされていたんでしょう。 姉はとある美容の会社に内定が決まっており、メイクが上手でファッションセンスもある、とてもおしゃれで可愛い人です。 一方私は生まれてこの方アニメとゲーム一筋で、メイクやおしゃれに全く興味がありませんでした。 しかし高校に入る頃に姉にメイクやおしゃれの事を教えられ、「可愛くなっていくのは楽しい事なんだ」と気付かされました。 私がメイクをするようになると、親は可愛いね、上手になったねと褒めるようになりました。姉のメイクは派手でキラキラしていて、まさに私の憧れそのものです。しかし親は「派手すぎて可愛くない」「不細工」と言います。 親には私ばかり可愛いね、○○(女優さん)に似てるねと言われ、親戚の集まりの場でも私ばかりが持て囃され。 姉のSNSのアカウントを偶然見つけた事があり、姉はそんな事をつらつらと愚痴っていました。 一発ガツンと言ってやればよかった。 「自分の子供なら平等に可愛がれよ」と。 「姉がどんな思いでいるか一度でも考えた事はあるか」と。 姉は今でもしっかり者ですが、親に可愛がられなかった寂しさからか自己肯定感が低く、恋愛依存の気があります。 親に甘やかされていると分かっていながら、何もしなかった私のせいです。 私が生まれていなかったら、きっと姉はそんな思いをせずに済んだでしょう。 姉に償いたいです。今からでも私に出来る事はあるのでしょうか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

自己嫌悪の日々

職場で気になっていた女性が異動しました。 私はすぐ人を好きになってしまい、思い込みや勘違い、片想いで勝手に辛くなる事が多くありました。 そうした経験から『好きにならないように』と自制していましたが、一緒に働いていく中で、年齢も近く共通の趣味もあったりと気になる存在となっていました。 しかし相手は社員で私はフリーター。身分が異なりますし、そもそも恋愛をしていい立場ではないと行動する勇気がありませんでした。 仕事終わり二人きりで帰る際、連絡先を聞く機会があったのに『断られたらどうしよう』と肝心な場面で行動に移せず今でも後悔しています。 どうせ勘違いだったと行動しなかった事を正当化し、強引に納得させようとしている事が情けなく自己嫌悪です。 また今回の片想いに限った事ではないのですが好きだった人、これまでお世話になった方々の顔や思い出を忘れていく事への悲しさ、怖さのようなものを30歳を過ぎて強く感じるようになってきました。 写真が無ければ私の記憶だけが頼りであり記憶が薄れ、やがて思い出す事もできないと思うと不安が大きくなっていきます。 今、忘れないよう心に留めておきたい出来事を簡単な日記として残しています。 一方で私は過去に囚われすぎているのではとも感じています。忘れたくないから書いているのに過去ばかりを振り返り、固執し前に進もうとしない矛盾している私が嫌になってきます。 4月、環境が変化していく新年度というこの季節がよりそうさせていると思うのですが、自己嫌悪の日々が続いており辛いです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

自分が大嫌い

小さい頃から私の周りの男性は私に暴力を振るう人しかいなかった。 父親も兄も弟も、道場の師範もクラスメイトも恋人も。 体が大きかったから絶対にやり返してはいけないと洗脳するように4歳から柔道を習わされ、泣きわめいても辞めれなかった。 小3の時両親が離婚して父親に引き取られたけど、学校が終わって道場に行き、「女だから」と家事全部押し付けられていた幼少期。 小中学校では柔道を習っているなんてクラスメイトには言ってなかったから、ただの大人しいデブとしてイジメのいい的だった。 石ころやハサミが飛んできて怪我しても、養護教諭から「この程度のキズで保健室に来るなんてだらしない」と嫌われてた。 高校に上がって母親と暮らすも、母親は金にだらしなく男に依存する生き方しか出来ない女だった。 男と別れる度に「お前みたいな可愛げのないブスのコブがついてるから男が逃げるんだから次の男を捕まえる為の飲み代を稼いでこい」とアルバイトをさせられ、お給料を自分で持ったことが無い学生時代を過ごし。 大人になっても母親の浪費癖と搾取依存されてたせいでお金なんかある訳なくて。 母が亡くなり、一人暮らしをするようになったら途端にうつ病、パニック障害、適応障害が出てきて、治療の為休職中。 国の支援で生きてるけど、こんな金額じゃ到底生きて行けなくて。 死なれちゃ困るから国から仕方なしに生かされてて、 まるで真綿で首を絞められてる様で、 推しを推すのが生きる意味だと頭で分かってても、推しを見て高まる気持ちはほんの一瞬で。 三つ子の魂じゃないけど、30年縛られた親の呪縛はそう簡単に消えなくて。 眠剤と精神安定剤を飲んで強制的にリラックスしないと眠れなくて、寝た気がしなくて、気分が塞いで、歯を食いしばって生きてる。 幸せってなんでしょうか。 男から暴力を受けた経験しか無いから男性とお付き合いする事=暴力に耐える事だと思ってる。 私の世界には暴力男しか居ないから、外野から「そんな男ばかりじゃない」と言われてもピンと来ない。 お金も無さすぎて、親友の結婚もお祝いを渡せなかった。 いい大人なのにこんなにみすぼらしいなら生きる価値なんてないと思う。 死ぬのが正しいとは思わないけど、生きたくない。 5年も治療してるのに社会復帰出来る所が想像出来ない。 普通が欲しい。普通に生きたい…

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

過去を恥だと考えてしまいます。

はじめまして。 大学四年生の女性です。 私には中学生からの夢があります。 それは音楽を支えること、音響監督になることです。 その夢はずっと私を支えてくれていて、私にとって何よりも大事なものです。 ですが、今遠回りしている自分を、逃げている情けない自分と思ってしまいます。 私は高校時代、過剰な減量をして摂食障害になりました。 自分で栄養管理をしっかりとして、運動は毎日二時間して、一年半必死に努力して得たものは醜い自分でした。 食べることを好きだったのに食べることが怖い、普通の外見になりたいだけだったのに、そう毎日思っていました。 もう好きなものを何も嫌いになりたくなくて、夢を諦めて、どれだけ嫌いになっても離れるのことができない食を学ぶために大学に入りました。 自分を苦しめたものを学ぶのは地獄でした。 でも、得たものはたくさんあります。 趣味も自分らしさも、大学に入ってから気付けたのです。 そして、音響監督になると、もう諦めないと決めたのは、嫌いなものに必死になれたからです。 後悔はしていません。 今では就職して自分でお金をためて、専門学校に入って勉強し、音楽に携わろうと決めて計画を立てています。 この選択は恥ずべきものではないと思っています。 でも、夢があると他人に伝えたとき、「それは何?なぜ叶えずにいるの?」と聞かれたとき、私は自分が情けなくてどうしようもなくなります。 夢を一度でも諦めた自分をさらけ出し、摂食障害の経験から大学に入ったことを伝えようとしたとき、「過去のことは言い訳に過ぎない。弱かった自分をさらけ出して、何になるんだろう。」と、そう思って口に出せません。 昔こういうことがあったから仕方ないと自分や他人に言い訳をしているみたいで、情けなくて悔しくて泣きたくなります。 最近はそうやって夢を濁し続け、好きなものを誤魔化し続けて、大切な人をひとり失ってしまいました。 相手は受け止めてくれる人だと知っていたのに伝えるのが怖くて、自分は弱い人間なのにそうは思われたくなくて、強がって突き放し、距離をとって傷付けました。 もう二度とそんなことはしたくありません。 素直になってこうなりたいと前向きに語りたいです。 弱くてもそれが私なのだと、後悔がないように人に向き合いたいです。 でも、それが怖いのです。 どうすれば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

いい子をやめられない自分がいる

私はずっと嫌われないように誰かに合わせて自分を隠して生きてきました。いい子症候群です。いい子、優しい子でいないといけないと心の中でで思い続けてました。自分を偽り続けていました。それが原因で、友人関係、恋愛関係がうまくいきません。常に完璧な自分を演じることで必死で気づかれてしてしまい関係がすぐに壊れてしまいます。ですが、最近、そのままの私でもいいや!ほどほどに悪い人でほどほどにいい人でいようと思えるようになってきました🌱 それからは変に気を使うことを少なくなり少しずつ生きやすくなっているなと感じています。ですが、いい子でない、優しくない私に自己嫌悪を感じることがあります。まだいい子症候群の理想を追い求めていて、周りからみた完璧な自分に安心していたいと思ったり、いい子である自分に酔っていたりしているのだと思います。自分を優先してはいけないと、他人には絶対に優しくしないといけないと思ってしまいます。また、そんな自分をこれまで褒められてきたことが原因なのか、自分の良さがなくなってしまうのではないかと思ってしまいます。どういう考え方を持てば、この気持ちから楽になれるでしょうか。また、心の中では自分を隠してでもいい子で居続けた方が楽で、安心だし、その方が自分らしい、自分の良さがあると思ってしまいます。この場合、いい子であるしかないのでしょうか。拙い文章ですが、ご回答お願いします🙇

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

自分が許せない

初めまして 私は、昨年3月に学生が終わり、4月からフリーランスでお仕事をしています。まだまだ本業だけでは生活できずアルバイトをしながら、実家に暮らして生活面でも沢山助けてもらいながら生活しています。 家族や友人にはとても恵まれていて、皆とてもいい人で優しくて、私の夢も応援してくれています。ただ、結果を出せなかったり失敗をする度に、応援してもらっているのに出来ない自分が許せず、また全然頑張っていないのに何故か頑張れない自分が許せなくて、仕方ありません。周りの人を騙しているような罪悪感で心がいっぱいで、どうしていいか分かりません。あまりにも自分が情けないです。私なんて死ねばいいのは分かっているのですが、親より先に死ぬことがどうしても出来ません。自分で痛めつけてもどこか躊躇してしまって、誰かに傷つけられたい、無茶苦茶にされたい、罰してほしいです。死ねないけれど、生きているのもしんどいです。 周りの人には本音を言えなくて、元気で明るいふりをしていて、なんだか自分の気持ちもよく分からなくなってきて、感情を上手くコントロール出来なくなってきました。大好きなものを食べてもあんまり美味しく感じなくなりました。なのに過食することが増えて、また罪悪感に襲われて、吐き出そうとして、出来なくて、太って。いるだけで迷惑なのに、もともと悪い容姿も更に悪くなって、もう私はだめです。 会社などの所属場所がなく、私が明日いなくなっても誰も気づかないんじゃないか、社会の中に存在できていないんじゃないか、毎日が不安です。誰の役にも立てていないけれど、どうしていいかも分かりません。 どうしたら生きていてもいい人間になれますか。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ