人との付き合い方。
師僧、信徒さんとの付き合い方に最近悩んでおります。
師僧とは血縁関係はありません。
寺院にて妻も含めて一緒に生活をおくるようになりました。
妻も私も師僧の寺院に入れてもらってまだ日が浅く、時には厳しく時には優しく日々様々なことを教えていただいてます。
ですが、一緒に生活を始めてから師僧が信徒さんのところで私たちの悪口、至らない点さらには私たちの両親の悪口を多々言っていると聞きました。
これまで信徒さんとお付き合いをしていく上で不安がありましたが、最近さらに不安が強くなりました。
これも修行と思い、乗り越えようとしていますが、私以上に妻が精神的に追いやられている現状です。
一僧侶として、お恥ずかしい現状ですがどこかで吐き出したいと思いここに相談させていただきました。
相談というよりも愚痴のようなものになり申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
希望と目的地
こんにちは。
おそらく宗派は違うのでしょうが、悩まれているお気持ちを拝見して少しコメントをしてみようと思いました。
檀信徒さんの前で体面を失わせるようなことを言うのは感心しません。
僧侶として悪口(あっく)を口にするということへの違和感はないのかと思います。それは師匠云々以前の問題です。
あなたたちご夫婦に限らず、あなたのご両親のことにまで言及するなどもはや言語道断だと思います。両親の悪口を言うようなということは夫婦でさえ慎むべきことです。ましてや第三者が言うなどということは、当然あってはなりません。
ご質問を読み始めた時には、公平な目で見てどちらに問題があるのだろうかと思いましたが、親にまで言及するというところを見て、これはその師匠の方に問題があるだろうなと思います。
これを修行と見て耐えるということも、現状では仕方がないかもしれません。住居環境も変えるのは簡単ではないでしょうし。
ただあなたの奥さんの方がご心配ですよね。
ここはあなたがある程度余裕を持って構える必要があるのではないでしょうか。
ああ、師匠の悪い癖がまた始まった、言わせておけばいいんだ。見習うべきところはたくさんあるけれども、見習ってはいけない部分もあるんだ。
自分もしかるべき立場になったら言わないようにしよう。人の気持ちを思いやれる人間に、僧侶になりたい。
だから、そういう僧侶になれるように、あなたが私のことを見はっておいてくれ、と。
あくまでも例えですが、そのように人生の大きな地図を奥さんにあなたが示してあげるのが、今のあなたにとっても奥さんにとっても必要なことではないでしょうか。
希望と目的地がはっきりしていると、人間は安心できるものですから。
同じ仏教徒として日々精進してまいりましょう。応援しています。
悪口を言いたくなる苦しみ。敵にも幸あれ。
私たちには、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩がありますよね。
師僧さんがあなた方の悪口を言うときに、どのような煩悩が働いているのでしょうか。
欲の煩悩が働いている場合は、しゃべるのが楽しくて口が滑っています。
また、そのときにプライドの煩悩も起動しているなら、弟子の至らなさを指摘することで「私の方がスゴい」とアピールしているのかもしれません。
一方、怒りの煩悩が働いている場合は、不平不満が裏にあり、攻撃や批判が目的で言っているのしょう。
たしかに悪口は言わない方が良いですが、師僧はあなた方夫婦にも直接悪口や非難をしているのでしょうか?
もしかしたら、直接言いにくいから、たまった愚痴を檀家さん等に聞いてもらっているのかもしれません。
いずれにせよ、悪口を言う人には悪口を言いたくなる苦しみ・衝動があるのです。
苦しみ・衝動の背景には、欲・怒り・怠け・プライドがあるはずです。
誰にでも煩悩がありますので、「お互いさま」「可愛いとこあるじゃないか」という慈悲の心で、敵も味方も笑っ暮らせれば争いは減るという精神でいきましょう。
たとえば敵国が豊かなら、敵はわざわざこちらに攻めて来ない。満腹のライオンは獲物を襲わず木陰でうたた寝。
だから敵の幸せは味方の平和にもつながるのです。
まさに「空」の実践中!
拝読致しました。
生まれ育った家から環境の違う場所に暮らすようになると、色々と問題が表面に出てきますよね。
私は、19〜20歳の頃に1年単位で全く縁故の無いお寺2ヶ寺で住込の納所(なっしょ)として過ごした経験があります。
1ヶ寺目、始めの内はとても良い環境の中で修行生活をしておりました。私も良く見られたいという思いがあり…我慢をしている訳では無いのですがそのような立居振る舞いをしていたと思います。しかし、段々と自我が出てきてギクシャクし始めてしまいました。後から考えると、お互いに慣れてくると少しづつ甘えみたいなものが出てしまい、不満が出てきたように思います。
2ヶ寺目の時はその反省から、「私」というものを始めから出すように振舞い、生活をしていきましたが、所謂お互いに腹を割って話が出来る環境になり、言い合う事もありましたが、会話や笑いの絶えない環境下での修行となりました。
今、この時の経験がかなり役に立っており、檀信徒の方々とも、心遣いをしながらも自分を出す所は出し、理解しながら支えられているという実感があります。
前置きが長くなりましたが、大前提として、とても良い環境であっても悪い環境であっても、ずーっとこのままと言う事は絶対にありません。
先ずは師僧さまと会話出来る環境を作るにはどうしたら良いか?を良く考え、多く会話する機会を意識的に設けてみては如何でしょうか⁇
師僧さまも相談者さまも奥さまも、始めに思っていた形と違うようになっているだけだと思いますが、それはお互いに深く知らない人を自分の勝手な思いで良い方向に考えていただけの事では無いでしょうか…
いつの時代も、相手の態度や言動は「自分の鏡」と言われます。
先ずは自分の中で考え過ぎる事無く、誠意を持って話し合う事が良いと思います。
大きな問題や意見の違いで喧嘩になる事はさほど気にしなくても良いかもしれませんが、小さな事が問題になる時は、本当の問題点は他に有ったり、常に潜在的に潜んでいたりします。
今を最悪の状況と理解して、僧侶として今後多くの方々に救いを与えられる経験を楽しんで頂きたいと思います。
奥さまとも、このまま環境が変わらないという事は絶対にない事を確認し合い。まさに「空」の体験を自らの修行として経験するチャンスを生かしてください。
師僧さまが信徒さんの所で、褒めてくださっている所が目に浮かびます。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ございません。
各上人様ご回答ありがとうございました。
釋 悠水上人
妻は今「あなたがいる。あなたと寺院のためにがんばるよ。」と言い日々頑張ってくれています。
仰るように「悪い癖が始まった。」と妻と2人で聞くようにしています。
ご回答いただきありがとうございました。
願誉浄史上人
ここ最近は妻が一人のところを狙って叱りにいくようで、私が居合わせると「どうして(妻を)かばうのか、そんなことも知らないのか(親に教えてもらってないのか)、私が間違っているというのか、反抗して常識がない。」と妻ともども叱られる始末です。
朝に怒ったことを夕方に呼び出し再び怒るということも度々。
また、教えを乞うことをしても「好きに、自分やり方でしなさい。勝手にやってくれ。」と言われ、いざ行おうとすると「私のやり方と違う、聞きに来ないのがおかしい。」と言われます。
最近では、私たち夫婦がきたせいで庫裏を奪われたということを言われています。
法要などで手伝っていただく僧侶の方にも住みにくいと言いふらす始末。
笑って暮らすことができなくなっております。
和彦上人
週に一回食事を共にし、毎朝お勤め後に一緒に30~40分ほどお茶を一緒にしております。
仰るように相手を自分の良いように思っていたようです。
なかなか難しいなと感じております。