【高野山真言宗】亡僧位牌の書き方
曹洞宗僧侶です。
真言宗、特に高野山真言宗の先生にお伺いしたいことがございます。
先月、10年以上、日々托鉢と托鉢行で縁のあった方のご法務のみで、如法に生活されていた高野山真言宗の僧侶が遷化されました。(この話でどなたかお分かりの方もおられるかもしれませんが、詮索はされないようお願い致します)
私も現在、お寺に身を置き法務を主軸に生活はしているものの、暇があっては托鉢は極力欠かさぬよう行っておりますが、今日そのように行乞に歩めるのは、その真言宗の先生が、托鉢の先達として現代社会での(道場ではなく個人での)托鉢の在り方を、言葉や姿勢で示して下さったからこそにあると思っております。
件の先生とは、私が托鉢を始めてから間もなくご縁があり、以来、宗派こそ違えど同じ托鉢を行う比丘として垣根なく接して下さりました。
その先生なくしては、私は今日まで托鉢を継続することは出来なかったことでしょう。
その報恩感謝を示したく、遷化より四十九日に当たる日に件の先生が托鉢されていた地にて、ささやかながら亡僧諷経をお勤めさせていただこうと予定してております。
そこでなのですが、当日はその先生のお位牌をご用意し、お経をお勤め致したく考えておるのですが、真言宗の亡僧位牌の書き方が分からず、真言宗の先生方にそのご教示を頂きたいのです。
曹洞宗の場合ですと上から「【〇〇第〇世比丘(住持職の場合)】【道号】【法名】【僧階】」となりますが、今回は【道号】に当たる部分は分からず【僧階】についても、以前僧籍簿の写しは拝見したことがあるのですが、正確な僧階が分からない為(一応、住持職に付ける最低限の僧階とは仰ていました)、遷化された真言宗の先生に対する適宜な尊称にて代えさせて頂ければと思うのですが、どのような尊称が相応しいと思われますでしょうか。
周囲の高野山真言宗の先生方にもお伺いしようと考えておりますが、これは同じ宗派でも地域や法流によって様々であるかと思われますので、ひとつでも多く参考になるご教示があれば幸甚でございます。
何卒宜しくお願い申し上げます。
合掌九拜。
一般家庭に生まれ、10代の終わりに曹洞宗にて出家。 一般職と納僧職を兼業する繰り返しを経て、現在は関東の田舎にある檀家100件足らずの小さなお寺に身を置き、副住職まがいのことをしております。 とは雖も、法要随喜や派遣法務のほか、托鉢や坐禅会の指導、各地の師家への拝登などで各地を転々としており、年間の殆どを寄る辺のない立場で過ごしております。 現在は特に澤木興道老師、内山興正老師らの提唱する禅を軸にしております。
煩悩とは「煩わしい悩み」と書きます。 足ることを知り、心身脱落することこそが、煩しい悩みを手放す特効薬ではないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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真言宗僧侶に書いていただくのが本義です
梵字 〇〇山第×世 △△ □□大和尚 不生位
が、一般的でしょうか。
△△には大僧正など僧階を書き、□□が僧名です。大和尚(だいかしょう) 不生位(ふしょうい)と読みます。本不生(ほんぷしょう)と書くこともあり、涅槃に入った(迷いの世界には生まれない)方、という意味です。
僧侶として最低限の僧階だと権律師(ごんりっし)かなと思います。(律師→僧都→僧正)
我々には道号は元よりありません。
どちらに致しましても、真言宗の僧侶に頼んで書いていただき、開眼をしていただくのが本義ですのでご注意ください。
例:アーンク 成田山第三十三世 権律師 俊康大和尚不生位
※アーンクという梵字は、画像が貼れずすみません。
質問者からのお礼
御回答ありがとうございます。
御回答頂いて直ちに、僧堂安居する勝縁を頂きまして、お礼が遅れてしまいました。
今もまだ安居の身ですが、御礼申し上げる機会がございましたので、この機会に御礼申し上げます。