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寺の長男は後を継いで当然なのでしょうか?

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兼業の寺院の長男です。
姉が一人いますが私が跡継ぎとして育てられました。
子供の頃に跡を継ぐかは将来考えると親に言ったら叱られたのが衝撃で、以来、自分が必ず寺を継ぐものと思って生きてきました。
祖父も父親も僧侶として素晴らしいと思った事もなく、僧侶資格を取る為の過程で出会った講師の方達の話もポジショントークばかりの様に感じて僧侶に良い印象はありませんでしたが、経典や宗祖の残した言葉は興味深い部分もありましたし、継ぐ事で世話になった親の肩の荷を下ろしてあげられて、檀家さんの役に立つなら継ぐのも悪くないと納得していました。

しかし私が結婚してから、私達夫婦は寺と仕事を両立する為に両親とは異なる生活の仕方を計画している事を話すと、両親は話し合うまでもなく「寺をやる気がないのか」「そんなに寺を軽視していたのか」等と不快感を示しました。私達は詳しく説明して、話も聞かず頭ごなしに否定するのはおかしいと両親に抗議すると「お前達の考えを知らなかっただけ。自分達の態度は悪くない」と、話し合いもせず不快感をぶつけた自分達の失礼な態度を認めません。
両親は私が成人しても寺について何の話し合いもしませんでしたが、両親は私達が両親の気持ちを察して両親の思い通りに暮らすものと勝手に信じていたようです。
挙句の果てに私が跡取りである事や両親の寺のやり方は「祖父が決めた事であって自分達に責任はない」とさえ言いだしました。
もちろん私の人生選択に責任を負うのは私自身ですが、間違いなく私に影響を及ぼしてきた親なのに、恥ずかしげもなくそんな事がよく言えるなと思います。

姉は姉で結婚して家を出る時も、寺の事など気にもかけなかったくせに、両親の肩を持ち、後継ぎなら両親のやり方を踏襲するのが当たり前だと私達を責めます。
私が「貴方が私の立場なら今の時代でも両親のやり方を黙って引き継ぐ事を受け入れるのか?」と聞くと姉は「自分が跡取り?意味が分からない」という様子で、姉にとって跡取りとは私以外であるはずがなく、姉が私の代わりになる事を想像するどころか、私が継ぐ事をありがたいと思った事さえなかったようです。

私は寺や家族の事を思って選択の幅を狭めてまで生きてきたのに、家族にその人生を軽く見られてなお継ぎたいとは思わなくなり跡取りは辞退したのですが、寺族の跡取りへの思いというのは一般的にこの程度なのでしょうか。

2023年7月18日 17:33

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信教の自由

このhasunohaは100%回答するのは僧侶ですから、一般的に言えばあなたがお寺を継ぐのは当然と言う結論になると思います。
私は在家から得度した者です。仏教に惹かれて自ら仏門に入りついに自坊も建立しました。さまざまななお寺さんとのお付き合いもあり、この20年で感じたことは、やはり後継だから仕方なく僧侶になる方もいれば後継である事を誇りに思って僧侶になる方もいます。また、私のように在家から仏門に入る人もいます。
その中で思う事は自分が僧侶に相応しい人間かをよく考えることではないでしょうか。はっきり申し上げれば、私の立場から言わせてもらえば、跡を継いで住職になれるのにやりたくないと思うなら辞めた方が良いです。お檀家にも迷惑だし、そんな寺は存在価値は無いと思います。信教の自由は憲法で保証されています。それは逆に言えば自分が真の仏教徒であると言う自覚が無いなら坊さんになる資格など無いと思います。
厳しい事ばかり申し上げますが、もしあなたがご自坊を継がれるならば過去のしきたりなども気にしなくて良いのです。あなたはご自身の考える「お寺のあるべき姿」を追求すれば良いのです。正しくは過去のよい方法は踏襲して悪いと思うことは改善すべきです。
仏教の目的は「抜苦与楽」です。お檀家のご先祖を守るのことはその通りに叶っています。でもそれだけでは有りません、現在生きているお檀家さんのために何ができるのか、お檀家さんに限らず坊さんとして人のためにに何ができるのかを考えましょう。自分の生活の為にお布施を計算するようになったらダメです。
私にとってあなたの立場はとても羨ましいです。元々お寺があるなんてとても素晴らしいです。
なので、私はあなたが本当の意味で立派なご住職になっていただきたいと思います。
仏教は素晴らしいものです。そこに携わる立場を与えられたことも素晴らしいことです。お檀家に限らず世の中の多くの人に仏教を広めましょう。
あなたの求める回答になったかわかりませんが。ご相談を読んで思った事を書きました。

2023年7月18日 22:01
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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無上甚深微妙法(追記しました)

はじめまして。跡取りをご辞退されたのですね。
一般的にというのは違う気がしますが、西村様がより良い選択ができるよう一緒に整理して行きましょう。
先ず私から観たら、西村様もご両親もお互いに「not OK(お前はダメだ)」を突き付けているので、喧嘩別れのようになったのかなぁと思います。勿論、ご両親が最後まで話を聴かなかったからですし、西村様が怒りや悲しみ不安をお感じになっても仕方ないです。ただ。せっかく宗祖や経典を通して、親孝行や檀家さんのことまで考え抜いて覚悟と決断をされたのですから、親子喧嘩で辞退するのは勿体ないのではないかと思いました。そこで提案なのですが、ここは西村様が賢く大人になり冷静になり、戦略を立るのはいかがでしょうか?
西村様はご家族に腹がたったからhasunohaに書き込みをしただけではないと感じましたよ。怒りなどの感情もあるけれど、宗門をより良くしたいとか、宗祖のご苦労に感謝したりだとか、僧侶としての生き方、アイデンティティ、自己実現や自分の存在価値etc…、そのようなことも考えたのではないでしょうか?
ですので、感情的に成りやすいお父様と同じような話し方ではなく、不器用さでもなく「こんなとき、尊敬する人はどのようにして乗り越えて行ったのだろうか?」と一度立ち止まってみてください。
宗祖様だったら、どうされていたと思われますか?宗祖様ご一族、皇室、王室、老舗、先祖代々のご家庭、伝統、歴史。「わたしの代で終わりかも知れない」そのような危機はあったかも知れないですね。幼い頃、◯◯になりたいと卒業文集に書いたとしても、諦めた方は多かったですよね。西村様は決してお寺を軽くなんて見ていなかったのに、なぜかご両親が早合点をした、誤解をしてしまった、決めつけた。昔からかも知れないけれど。世の中の営業マンたちも、会社のためにチームで知恵を絞り、身体を鍛え、コミュニケーションスキルを学び、行きたくもないゴルフや接待を重ねて認められてきたのかな?と。私も飛び込み営業をして泣きそうになった過去があります笑。書店には「アサーショントレーニング」の本もあります。一例です。檀家様も西村様が仏法を有難く歓んでおられたら一番嬉しいのではないかと思います。仏法遇い難し。砂浜の砂を指で摘むぐらいの尊いご縁でしたね。

2023年7月18日 22:53
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おきもち

はじめまして、薫衣(くのえ)きみこと申します。 私は、これまで心理...
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質問者からのお礼

(薫衣様)
ご意見ありがとうございます。
実は戦略を立てて話し合うのも数年かけて取り組んでいるのですが、優しく話をしたら私達が全部許して100%親達が言う事が正しいと認めたと解釈され、少しでも厳しい事を言えば私達が親の言い分を一切聞かないと言っていると解釈され、全く会話にならず疲れてしまい今に至ります。
おっしゃられる通り話し合いをしようとしたのは怒りだけではなく、色々な思いがあり、特に家族にだけは自分の生き方をどうしてもわかって欲しかったからでもあります。
ただ、どうしても自分の人生や自分の大切な家族の生活を軽んじられているように感じて、強い口調になってしまっていたのは事実です。
正論ばかり突きつけられたら両親は逃げ道を失い、逆に反発するという事は心理学的にも聞いたことがあり分かっていたのですが、この件について「こちらがなぜ譲歩しなければならないのか。こちらが正しい事は全部言わせてもらう。」という思いもありましたので、両親を追い詰めすぎた部分もあるかと思います。

今はもう全てを自分からなんとかしようとはせず、ご紹介いただいたコミュニケーションスキル等を学びつつ、ほぼ可能性は0だとは思ってはいますが両親の方から私達と何か話したいという事があれば、その時に少しでも私達の思いが伝わるように準備して待とうと思います。
その時は5年後10年後かも知れず、もう私が寺を継ぐ事は難しい家庭状況になっているかもしれませんが、先の事を考えて悩むよりその時に選べる道を選ぶしかないと割り切っていこうと考えています。
分かってくださる方がいただけでも大変気持ちが楽になりました。
ありがとうございます。

(宮本様)
ご意見ありがとうございます。
我々寺族と実家の寺に存在価値があるかというのも、問題が起きてから考えている事でもあります。祖父も父も体裁を整える為に長男を住職にしようとしていると感じられ、私が子供の頃に怒られたのも「お前が継がないと私達は寺から出ていかなければいけないじゃないか!」という言葉だったと記憶しています。
そんな我々の姿勢を見透かされているのか、今はどこもそうなのかもしれませんが、寺との付き合いを疎ましく思って檀家を抜けていく方も多いようです。

子供の頃の事があって私が寺を継がないと皆が大変困るのだと思っていたのですが、実際は近くに同じ宗派の寺がいくつもありますし、実家の寺一つ無くなっても檀家さんは何とかなると思います。
困るのは私費を投じて寺の敷地に住居を建てたが退去しなければならない両親だけです。
おっしゃる通り、実家が古くから地域に根差した寺で、住職という役割を与えられるなど大変恵まれていると思っていた事もあり、祖先や親、地域の方々への恩を返す為にも、なんとか自分が住職を継いでいく為に話し合おうとしてきました。

しかし仏教の素晴らしさは感じていますが、親に人生を軽んじられたままでも継ぐほどは自分は仏教をしたいとは思っていないのが事実です。
おそらく私の両親の様な人は世の中に溢れていて、納得できない思いを抑えて仏教の為に寺を継ぐ寺の子供は大勢いると思います。その方達に比べたら私は自分の事ばかり優先する僧侶に相応しくない人物だと思います。
また私だけであれば、今は私が下手に出て後に問題を解決するという方法を選んだかもしれませんが、この問題では妻も両親の言動で大変傷つき、寺を一緒に継ぐ事に納得して結婚してくれた人ですが、寺の仕事の苦労ではなく無配慮な両親との関わりで苦しむ事を受け入れてもらったわけではないので問題の解決を先延ばしにする事はできませんでした。

一時的に混乱は招くかもしれませんが、体裁の為に子を跡継ぎにするような家が住職の系譜から外れる事は仏教の為には良い事なのだと思えば、少し踏ん切りが付きます。
ありがとうございました。

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