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師僧との関係と僧籍について。

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この分野には詳しくありませんので、恥ずかしながら諸大徳にご相談致します。

私の師僧(60代独身)についてなのですが、元々精神的な問題を抱えている人で、感情が高ぶると御葬儀の場やお法事の席でも大声で叫んだり、真言宗の住職でありながら真言宗や弘法大師を否定してカルト宗教に入ったり、お檀家さんや周辺とも何かとトラブルが絶えない人なのですが、数年前師僧の母親が怪我で入院した頃からさらに言動がおかしくなり、私にも「これからは毎日8時間無料で留守番しに来なさい。」等々無理難題を言ってくるようになりました。

それまでも師が母親を病院に連れていく日などには勿論留守番やお手伝いにはこちらから行っていたのですが、それで何を勘違いしたのかだんだんと要求がエスカレートしてきた状態です。

ちなみに私はお寺に雇われているわけではなく、役僧でも内弟子でもありません。
2,3か月に一度御葬儀の助法をする程度なので、普段は他の仕事で生計を立てており「私も生活があるのでさすがに毎日無料奉仕というわけには・・・」とやんわりお断りしたところ激昂されてしまい、「そんな薄情な事を言うなら師弟関係を解消させてもらう!!」と怒鳴られ師弟関係を人質に度々大した必要性もないような用事などに呼び出されております。
近所に買い物に行くだけのほんの数十分程度の外出にも留守番に呼び出されるので、仕事場からも「そんなにしょっちゅう休むんなら辞めてほしい。」と通告され、年齢的にもかなり厳しい状況です。

その旨を師に伝えても「弟子が師匠のために多少の犠牲になるのは当然の事だ。」等々しれっと言うので最早信頼などとてもできませんが、それでも在家から苦労して20数年なんとか必死の思いで続けてきた僧籍だけは消したくないと思い、ギリギリまで我慢してきましたがこれ以上の師の要求はとても受け入れられず、離弟(僧籍削除)してもらうしかないかと覚悟しております。
総代会も30年余りの間に正式に開かれたことはほとんど無い状態で、相談してもどうにもならない状態です。
そこで離弟する(僧籍が無くなる)ことでどういったデメリットや僧侶としての行動に制限が出てくるのか、師僧が無くてもできることはあるのか等、様々なパターンについてお詳しい方がいらっしゃいましたら御教示いただきたく思います。

2020年4月9日 20:05

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

師僧替えをなさっては?

じんさん、はじめまして。質問を拝読しました。

師僧から毎日8時間無料で留守番をするように等々、無理難題を言われ離弟することを検討しておられるのですね。

私も高野山真言宗の僧籍を持つ者ですが、師僧に関してはいろいろなトラブルがあると耳にします。真言宗も各派があるので一概には言えませんが、本山にて調停委員会のような組織があります。所属支所の支所長を通じて問題を相談してみることもひとつの方法です。

また、僧籍は消したくない(還俗する意思はない)とのことなので、師僧替えをする方法も考えられます。役僧でもなく内弟子でもない、もちろん副住職でも後任住職でもないことと拝察します。同じ支所内、あるいは本山関係の役員をしておられるような方に相談をして、新たに師僧を引き受けてくださる方がいれば所定の手続きを以て師僧替えができるはずです。

離弟して還俗するすれば一般の人と同じとなります。
高野山では教会教師や権教師の資格を取り、住職はできないまでもお堂の堂守(どうもり)のようなことをする方法もあります。

高野山の場合は必ず師僧を持つ(書類上だけであっても)ようになっています。せっかく灌頂までうけて教師になられたのなら、書類上だけでも師僧になってくださる方を探してみてはどうでしょうか。

良き仏縁がありますよう祈念しております。

2020年4月10日 15:18
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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...

皆さんにご相談なさってみて下さいね

拝読させて頂きました。
僧侶といえども人権や日々の生活もありますし、当然お仕事もありますからね、全て師僧に従わなければならないという道理もないかと思います。
あなたが所属している教団の宗務庁や県や地域の役職者にもその件を相談してみてはいかがでしょうか?
できれば冷静に経緯を説明して先輩方からもアドバイスを受けたりサポートを受けてみてはいかがでしょう。
それぞれのお寺の自治権がありますからとやかく言うのもいかがかとは思いますが、あなた自身が今まで一生懸命勉強して僧侶になられたのですからこれからの僧侶としての道をしっかりと冷静に考えて皆さんからサポートを受けてご判断なさってみてはいかがでしょう。
どのような道が適切なのかは詳細にはわかりませんけれどもどうかあなたの中だけで抱えずに皆さんにご相談なさってみて下さいね。

あなたがこれからも僧侶として一生懸命にご精進なさり、皆さんと一緒に心清くおおらかに仏道修行を歩んでいかれます様心より仏様にお祈りさせて頂きますね。
あなたはもう既に仏様とのご縁に結ばれて仏様のご加護を受けていらっしゃいますからね。

2020年4月10日 10:35
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おきもちが子供達の笑顔になりました


Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして9年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

質問者からのお礼

御尊答ありがとうございます。

本山や周囲にも相談しましたところ、今はほとんど役所仕事と同じで師僧の書類次第でどうにでもなってしまうということでした。
徒弟の意見が全く反映されないのであれば、これはもうどうしようもないことですので、御縁が無かったんだと粛々と受け入れようと思います。

ただ大学まで出してくれた親に申し訳ないなぁという気持ちと、A4の書類一枚でこれまでの努力を全て否定されるのか・・・と少し切ないような情けないような気持ではあります。

中村様、詳細な御回答ありがとうございます。
同じ派でありますので大変貴重な内容で有り難いです。
師僧替えについては実は過去に二回手続きをしたことがあります。現師僧ほどではありませんが、どういう訳かいずれの方も人間性や社会性の面で問題がある人でしたので(地域性と在家いじめでしょうか)、正直不安はありますが次にもし紹介をしていただくことになった場合は慎重に慎重を重ねて検討したいと思います。
現師も精神的な問題だけならまだ良かったのですが・・・看過するわけにもいかない問題行動もあり、この十年ほどの間根気よく幾度となく諫めましたがもう距離を取らざるを得ないと判断しました。

教会教師や権教師については知りませんでしたので是非調べてみようと思います。
本当にありがとうございました。

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

はじめまして

はじめまして、ぽん太と申します。 家族に病人がたえず悩んでますが、毎日仏壇などで般若心経など他の経典も 読んでます。僕は、学生時代は一般在家でしたが、道元禅師などの教えにすごく興味があり、もちろんお釈迦様も、仏門に入ろうと永平寺などへ出家を考えた時もありました。40すぎですが、仏門に入るのはもう困難でしょうか。 自分はよくないいじめとかによくあい死のうとも何回も思って首を吊りかけた時もありまぶした、今でもありますが、仏教のことを思うと気が少しは変わります。それと僕は霊感は無いほうですが、頭の中などでは何かが見えたり、聞こえたり、光見たいのが見えたりもしてます。 いろんな宗教宗派をもっても大丈夫なんでしょうか。今では新興宗教とかもあるみたいですが、 家族の病気がちを考え仏教の勉強をたくさんし、仏 菩薩様などにいろいろお経を唱えることで気持ちを和らげていました。 お経には深い意味があることもわかってました。 お坊さんたちに深い教えをいただけたら嬉しく思います。 お経などにも出てくる仏教の苦の意味を知りたいです。 お坊さんたちと交流出来たらいいなと思ってます。 よろしくお願いします。仏教をさらに学んでいく所存です。

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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

有り難し有り難し 21
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得度に関して

大学院に通う22歳です。 将来、浄土真宗本願寺派で得度させていただきたいと考えています。 しかしながら、実家は寺院ではなく、無宗教で所属寺院もなければ、現時点で私は門徒でも無いため、どのように立ち回ればよいのか悩んでいます。 近隣に本派の寺院はあるのですが、学生の身分で足を運ぶのはすこし勇気がいることで、なかなか難しいのが現状です。 もともと宗門大学で4年間仏教について学び、より深く学びたいと思ったため、今年4月からは同大学の大学院に進学しました。 得度したいと思うに至ったのは、僧侶として生計を立てていきたいという訳ではなく、この大学で4年間過ごしてきたなかで様々なご縁を頂き自分の中で信仰心が芽生えたこと、またもっと深く知りたい学びたいと思ったこと、そして自らが仏教をこの先も研究していく過程においてやはり実践者として知見を心得ることは重要になるのではないかと考えたからでした。 正直なところ、このような動機で得度したいと言って良いのか、お門違いで身のほど知らずなのではないか、と考えることもあります。この点についてもご意見を賜りたいと共に、こういった場合はどのように動き、ご縁をいただくのが良いのか、ご助言をいただきたく思っています。 何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 27
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僧侶になりたいが別の職も目指したい

有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

有り難し有り難し 20
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