入籍時の名字について
こんにちは。初めて質問させて頂きます。
私、彼ともに20代です。今、結婚後の名字について揉めています。
私の家は2人姉妹、彼の家は2人兄弟です。私は長女、彼は次男です。
私と彼は名字を私の方にしたいという思いがありました。しかしそれを義実家に反対されています。
私がその名字にしたい理由
・私の名字が珍しい名字でお気に入りだから。
・私の父が私が高校生の時に亡くなり、パパっ子だった私は父と同じ名字にしたいという思いが強いから。
・2人姉妹で従兄弟もいないので名字が途絶えてしまうから。
・私や妹が別の名字ではなくなると母が一人ぼっちになるから。
・私は地方出身で結婚などを考えて彼の地元にいるので名字はこちらを優先させて欲しいから。
彼の意見
・昔から自分の名字があまり好きではなかった。
・変えることに特に抵抗はない。
・子供の事を考えても私の名字がいい。
・夫婦別姓は絶対に嫌だ。
私の母の意見
・子どもたちが幸せならどちらの名字でもいい。
義実家の意見
・4人家族で次男だけ別の名字になるのが嫌だ。
・世間体を考えてもこちらの名字にするべき。
私も最初は自分の方の名字がいいと意地を張ってたのですが彼が板挟みになり精神的に不安定になっていくのをみるともう名字くらいでこんなことになるのは嫌だなと思い私が折れることにしました。
それを義実家に伝えると彼の名字にして当然のような反応だったので私としてはモヤモヤしてるのと子どもたちの意見より自分たちの意見の方が大切なのだなと思ってしまいこれから先上手くやっていける自信がありません。
対して私の母は私や彼のことを気遣ってくれています。
もう名字に関しては吹っ切れているのですがなんだか自分が惨めに感じてしまいます。これは時間が解決してくれるものなのでしょうか。どうやってこの気持ちを収めていけばいいのか分かりません。
私もつい意地を張ってしまい孫も見せたくないというような考えまで浮かんでしまいます。しかし表面上は仲良くしたいなとは思っています。
彼にも彼の実家のご両親といつものように仲良くして欲しいなと思い安心させてあげるために実家に行って、彼の名字にすることを直接伝えたほうがいいよとは言っています。
分かりにくいですがよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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結婚制度自体に限界がきている
りんさん、結婚おめでとうございます。先ずはお互いご自愛ください。
さて、私は結婚制度はそもそも夫婦2人の意志で決めるものでは無く、家族(親族)の一員になるための儀式なのだから、親族皆で話し合うべきでした。もう、名字については決まってしまったので後の祭りになります。手遅れですが私から見解を言わせて下さい。
あなたはまだみんなの意見を聞いたことは非常に稀で素晴らしいことです。でも、もう1つ踏み込んで、皆で席を設けて話し合うべきでした。そうすればあなたの意志も義父母に伝わったかもしれません。日本の結婚制度と民主主義を同列に勧めるのははっきり言って無理です。従来の結婚制度にもう限界がきていると私は思っております。結婚なんて国が国民を縛るための制度であって私はそこに乗っかるのは反対です。ドラマでも小説でも漫画でも試練を乗り越えて結婚してハッピーエンドとなる作品も多いです。しかし、本当の試練はこれからなのです。テレビでも夫の不満に怒りをぶつけている芸能人の悩みを聞く番組が多くあります。hasunohaでも結婚しなきゃよかったと思う夫婦の質問を何度も読んでおります。だから、私は結婚しなくてもそのままの関係で幸福感が得られるならそのままの関係で苦しみなく続けていけばいいのです。結婚したい人はすればいい、でもしたくない人に気持ちがついてこないのに無理して結婚を回りが煽る必要もありません。例え結婚しても次は子供のことを云々言ってきます。男の子が生まれると言い跡取りが出来たと喜び。女の子が出来ればよい家に嫁げるように言ってきます。子供の意志や生き方は二の次なのです。
今後、あなたが彼との間にもし子が出来たとして、同じような状況が起きた時にあなたはどれだけ子のために動けるか?また身の回りで同じ事が起きた時、同じことを繰り返さない、させないことを私は願います。
この意見を聞くか聞かないかはあなた次第です。
私の父親は養子で、母親の姓を継ぎました。
あなたか妹さんが養子を迎えて
あなたの家の姓を絶やさないようにするのも
昔ながらの義実家の理屈に沿うものでしょうが
それとこれとは別なのでしょう。
今まさに話題の男女差別の典型例ですね。
先祖の名前を覚えておけば楽しい
仏教的には、執着が悩み苦しみストレスにつながると考えます。
苗字への執着。
彼の親の言動(あなたの脳内の記憶データ)に対する執着。
自分自身への執着(誰だって自分が正しいと思いたい)。
長い人類の歴史と未来の人類まで考えたとき、苗字にどこまで価値があるのでしょう。
少なくとも、家族や親類が揉めてまでこだわらなきゃいけない価値はありません。
サイコロかじゃんけんでどちらの姓にするか決めても良いくらいなのです。
執着を一つ捨てることは、一つの悟りです。
姓に対する執着を捨てられたら、姓に関して悟ったと言えます。
悟っていない高齢者(彼の親)はストレスに苦しんでいます。
頭が硬くて愚かさで苦しんでいる人達は気の毒なので、慈悲の心で見守ってあげましょう。
あなたは執着を手放してストレスの少ない未来を生きましょう。
なお、私達は何百年前の先祖でも思い出して手を合わせることができます。
たくさんのご先祖のバリエーション豊かな名前を覚えておくのは、楽しいですよ。
あと、もしもお子さんが二人生まれたら、二人にそれぞれの姓を継がせる方法もあるかもしれませんね。