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父方の祖母が理解できない、許せない

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有り難し有り難し 13

色々と伝えたいことがあり、文章が読みづらいかもしれませんが、よろしくお願いします。
私の父方祖母は現在78歳です。
私は三人兄弟の長女で、真ん中に妹、末っ子が弟です。
祖母は男尊女卑の考え方が強く、同居していた高校卒業までの間、少しでもテストの点数が悪かったなどミスをすると、「家の恥だ」といわれ続けてきました。それに反抗すると「男じゃないから可愛くない」や「母親がダメだから、子供もこうなる」など母まで貶す人でした。妹は要領が良かったため?、弟は男であるため、そういった扱いはされていません。父や祖父の前では罵倒することはない上、父に相談して怒ってもらっても何も変わらず、祖父は知っても何もしませんでした。そのやりとりを繰り返すうち、父は少しずつ家族と距離を置くようになりました。
高校卒業までは家と学校の往復で、こんな内容を先生や友人に言えるわけもなく、生活の面倒を多少は見てもらっているため何もいうことが出来ませんでした。
しかし、高校卒業後、大学や社会に出たことでいろんな人、考え方に触れるうちに祖母の考えは間違っているとしか思えなくなりました。
私が大学生の時、父が自殺しました。母も妹弟も泣いて憔悴しきって、なんとかお葬式の準備をしている時に、祖母は何よりも先に美容院に行き身なりを整えて帰ってきました。自分の息子が突然亡くなったのに、自分の見た目が第一なのかと信じられませんでした。また、棺に向かって「馬鹿」と何度も言い続け、葬式後の食事の際にはけろっとして親戚と大笑いしていました。
子供の頃のことや上記の件があって、祖母には早くいなくなって欲しくてたまりません。
最近では、弟が東京に就職することになったのですが、介護職の母がコロナ感染を防ぐためについて行けないことを知ると「弟が可哀想」とこれ見よがしに責め立てたそうです。
自分のこと第一で、自分の考えが一番正しいと思っていて、それを母や私たち兄弟に押し付けてくる祖母への怒りが、祖母と関わりがなくなる前に爆発しそうで怖いです。
今は別居していてコロナ禍でもありがたいことに不自由なく生活しているのに、祖母の発言を思い出しては腹を立ててしまっています。考えても仕方ないのですが…
母が実家を出て、関わりが一切なくなるまで我慢すればいいことはわかるのですが、もやもやと考えてしまいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

四苦八苦「怨憎会苦」、距離をとり離れていくこと。

拝読させていただきました。

 私たちは生まれてくる時代や環境というものは選べずとしてこの世に生誕いたします。
 美空ひばりさんの歌であります「川の流れのように」は有名ですが、詩に「でこぼこ道や曲がりくねった道、地図さえないこの人生」とあります。
 祖母さまは時代から見て、戦時頃に生まれたか、もしくは戦後あたりに生まれたお方かも知れませんね。その辺りに生まれた方々は、現在では想像もつかないほど過酷な生活を強いられた人々も中にいます。祖母さまのまた両親は明治・大正生まれでしょう。日本は国家から「仁義礼智信」や「精神論」を洗脳されていた時代でもあります。そのようなことから、貧困であっても見栄えという世間体や、体裁といったことを重んじ、ナメられたくないといった自己中心的な考え方が固定観念に変化してしまったかもしれません。
 鉄は熱いうちに打てば柔軟があり、変化自在でもあるのに対し、プライド優先が固まってしまっては中々、78歳の歳からは変えることはまた一つ困難でもありますね。
 しかし、「歳はとっても、心は歳をとらない」ものでありますことから、祖母さまに何かキッカケとなる事が生じれば、変化が生じるかもしれません。
 般若心経というお経の真髄は「空の思想」なんですが
・かたよらない心
・こだわらない心
・とらわれない心
この心は「執着」です。まひろさん自身も身内だからという観念は捨ててもいいかも知れません。また、祖母さまの許せないことに執着しては、いつも影が体から離れないように、付いてくる人生となるものであります。
 投稿では思いをすべて伝えきれなかったことも多々あることと思います。
 人は「欲」がそれぞれにあり、何かしら求める欲が生じます。しかし、欲は満たされてもまた欲を求めるものであり、いい欲と悪い欲もあります。答えがでない事もこの世にはたくさんあります。そんなときに仏教では限られた寿命を生きる中で、そこに執着しては「なんでこんな家系に生まれたんだ」などと、自身に後悔の念を背負うキッカケを作ることにもなります。そうしたことから、「これで終わり」という終止符をどこかで打つ思いを抱くことも大切かもしれません。
天才バカボンというアニメでは毎回「これでいいのだ」というセリフが出ます。これは仏教の一つの前に進むための悟りでもあるのです。
合掌

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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは正しい道しるべであります。 選択肢が多い世の中になり、何が正解であるのか?すべて正解であります。しかし、人は損得で判断するのでなく、正しいか正しくないかで判断する人間であることを説いていきます。 ※電話相談は受け付けませんので、あらかじめご了承ください。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
祖母は母から何を言われても何も聞きませんが、私から苦言を言った時は泣いていたので、祖母にとって私は大切に育てた孫の1人なのかもしれません。私には大切な家族とは思えませんが…
きっかけがあれば何か変わるかも知れませんが、私も自分の人生を生きるので精一杯で、私からきっかけを作ったりする気力はありません。痛い目に合えばいいとも思ったりしますが、一度そうなってるところを見たとして、祖母が変化したとして、私がそれで満足して許して家族として大切にできるかと言われれば、今はできると思えません。
どこかで区切りをつけて離れて、許せないという執着も捨てていこうと思います。終止符を打つ思いを持つことも大切かもしれないという文を見て、涙が止まりませんでした。祖母がいなければ過去にも現在にもこの苦しみはなく、その分自由で今よりいい人生だったかもしれないのにと思うことがあり、許せないという執着を捨てきれずにいたのかも知れません。ありがとうございました。

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