ハムスターの死について
家で飼っていたハムスターが死んでしまいました。
辛いとき、悲しいとき、たくさんの喜びや癒しをハムスターからもらいました。わたしにとって家族同然で、とっても大切な存在でした。
そして、大切なハムスターをわたしが殺してしまいました。空気が入る穴をタオルで塞いでしまっていたことに気がつかなかったのです。
信じられなくて、亡くなったハムスターの姿を見ることができませんでした。
夜になると彼女の事を思ってしまいます。考えないようにしよう、けれどそれは彼女に対して最低の事をしているのではないかと感じました。死なせてしまったのは私なのに。元気に走っている姿、苦しいまま死んでしまった姿を想像すると涙が止まりません。生き返って元気な姿をまた見たいと毎日思います。
わたしはハムスターの死とどう向き合うべきなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愛されたハムスターは幸福でした
動物の生きる世界を畜生道と呼びます。
ここは本来不幸な世界です。
弱肉強食、毎日死におびえ、飢えは日常茶飯事。
飢えない生き物も、人間に食べられるために育てられる。
ハムスターは最たるものです。食べられ、実験に使われ……
そんな本来不幸な世界で、家族から愛情を注いでもらい、死を悲しんでもらえるハムスターは、とても幸福であったと思います。
仏教では死の理由は問いません。
生まれたから死ぬ。きっとハムスターの寿命があったんです。
とはいえ「自分が…」という気持ちはなかなか消えないかもしれません。
近くのお寺にいき、心が安らぐまで、ハムスターのために何度も手を合わせてあげましょう。
その際には、畜生道から逃れて、もっともっといい世界へ生まれ変われますことを願ってあげてください。
やがて悲しい思い出は消えます。
楽しかった、可愛かった思い出はずっと残りますから。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。畜生道という言葉を初めて聞きました。私たちがハムスターと過ごして幸せだったことと同じように、ハムスターもそうだったのではないかと思えるようになりました。これからも気の済むまで手を合わせに行き、ハムスターへの感謝とこれからの幸せを願い続けたいと思います。本当にありがとうございました。