過去の過ちと深い自責
以前にもご相談させて頂きました。
内容は異なりますが、別の件で悩みがあり相談させて下さい。
今から10年近く前にお酒に酔い、会社の妻子持ちの上司に誘われ一度だけホテルに入って性行為をしてしまいました。最終的な行為までには至っていませんが、その後、後悔ばかりに苦しめられ生きてきました。上司とはそれっきりで、継続的な関係もなく、部署も違うため接点なく何事も無かったかのように時が過ぎました。しかし、たまに頭によぎる時があるんです。自分がしたことで、上司のご家族が知ったらさぞかし苦しみ、ショックで、憎悪の感情に支配されるかと思うと、自分はなんてことをしてしまったのだろうと…事が知れたら私は何て謝罪すればよいのだろうかと…
その後、私も結婚をし、愛する夫との間に子供ができましたが流産するなど、報いなるものを受け、精神的に辛い日々を送り、やっと落ち着いてきたとおもっても過去にとらわれ、自分を過剰に責めてしまいます。10年近くこのような精神状況で、色々と不安定です。通院もしています。自分が蒔いた種ですので受け止めて生きていくのは当然ですが、少しは許されたい気持ちもあり楽になりたいです。
アドバイス宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「愛する夫」との現在を、未来を
こんにちは。
一月前のご質問で、躁うつ病を患っていると伺いました。
心身ともにお大事にされて下さい。
「自分が蒔いた種ですので受け止めて生きていくのは当然」と書いています。
厳しいことですが「自分はなんてことをしてしまったのだろう」という罪悪感、「事が知れたら私は何て謝罪すればよいのだろうか」という露見に伴う償いの問題は「自分が蒔いた種」であるということは否定できません。過去の業(行い)は、なかったことには出来ませんし、引き受けていく必要性がありますから。
しかし、「結婚をし、愛する夫との間に子供ができましたが流産するなど、報いなるものを受け」と書いてあります。「過去の過ち」に対して、「流産」が「報い」というのは違うと思います。その出来事は、純粋に生命の誕生に関わる環境、条件の話であり、あなたの過去の行為とは切り離して考えるべきです。この点は、きちんと整理しましょう。
「流産」は「過去の過ち」とは関係ないです。
この点で、「自分を過剰に責め」るのは止めましょう。
過去に戻ること、消すことは出来ません。
完全に忘れることも出来ないかもしれません。
しかし、あなたには現在があります。
現在は作っていけます。
現在に期待を見出していけます。
「愛する夫」と胸を膨らませていける現在が、未来が。
私は、趣味で楽器を吹いています。
その時々で自分の吹いている演奏を、録音して聞き、聞いては修正し、また聞く。これを繰り返して少しづつでも前進できるようにしています。
ただ、自分の下手さ加減に向き合うのは時々嫌になります。
その嫌になる程の演奏は、確かに自分の吹いたものです。
でも、向き合いたくない気持ちもある。
たった今しがたの過去なのに、向き合えないときもある。
考えると、なぜ過去に向き合うのでしょうか。
それは、今、そして未来の自分を少しでも高めるためであり、幸せへの一歩をすすめるためでもあります。過去にうなだれるためにしているのではないのです。
ですから、あなたも過去に向かって無限の反省をするために、「自分を過剰に責め」るのは少しお休みにしませんか。
あなたは、過去を反省しているのでしょう。
絶対に繰り返さない決意なのでしょう。
「10年近く前」の過去を見るのには、もうそれで十分です。
「愛する夫」との現在を、未来を築いて下さい(字数制限)
質問者からのお礼
親身にお答え頂き有難う御座いました。