hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

あいつはおかしいと言われること

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

悪い噂を流されて、大変な
誤解をされ、あいつはおかしいと言われ続けます。
現在の住所や家族の勤務先出張先まで聞かれて、悪い噂をばらまこうと企む同級生にはどうすれば良いか教えてください。
本当に苦しいのです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんにちは。世間から「あいつはおかしい」「キてる」「仏ッとんでる」「色んな意味で早く仏になってほしい」と思われている一本たりない凡下と申します。大丈夫です。私ぐらいイカレた人間もアメンボやげじげじと同じように生きています。私のようにグーでもチョキでもないパーな人間であっても✋パーだけにつかみ事なくたくましく生きてますので大丈夫です。どうか、凹まず、悩まず、過去のことを引きずらず、先のことにおびえずに。前を向いて今を大切に元気に生きていきましょう。悪く言う人たちの悪意に負けないことです。昔あったCMのように「わんぱくでもいいからたくましく」生きてまいりましょう。
過去のことでいつまでもねちねちとあなたをいじってくる人の方がよっぽど危ない心境にあるものです。ある種可哀そうなのはその人たち。かわいそうな人間ということで憐れんであげてください。
いじめをしたり、嫌がらせをする人たちの心理を考えてみましょう。なぜそんなことをするのか。本当に幸せや安らぎを知らないから他人を悪く言ったりけなす。自分のコンプレックスや自分の情けない人間性を隠しているにすぎません。

仮にピンタをされるようなことがあっても相手の手とあなたの顔が接触しない限りピンタは行われないように、悪いことは悪いことが実感・体感されるまでは現実には起こりません。悪いことが起こるのではないかという思いと実際の被害とは別物です。災害と同じでそれが現実にこの身に起こるまでは起こりません。

嫌がらせをしてくる人間はそれを悩むよりも、その人たちのその悪い行為を周りに知らせてやめさせることが大事です。証拠を録るなどして意図的な嫌がらせの被害を受けていることを主張しましょう。さて、ここからはあなたの心を今後苦しめないための話です。
まずはあなたの心は「どっち」を問題にしているかを見抜きましょう。
その人たちが嫌なことをしてくることも確かに嫌でしょう。
ですが、その人たちが今、目の前にいないはずなのに「あの人たちは今も私になにか嫌なことをしているのではないか?」と過剰に恐れることは「今・ここで・あなたが・新たに」やることです。本人がいないところで何度もあなたが脳内で不安の焼き増し、リプレイ、繰り返していたとしたらそれは必要以上に自分を苦しめてしまっているだけです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お忙しい中、丁寧なお答えをいただきましてありがとうございました。
相手の精神状態を理解できました。
過去を引きずらす、たくましくというお言葉も大切にしていきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ