無能な自分との向き合い方
先日、「授業で指名されたけれど問題が解けない」という夢を見ました。
夢なのですが、これをきっかけに小中、高校などで「できなかった」記憶が次々湧いてきて、どんどん惨めな気持ちになります。この気持ちは一週間近く継続し、連日悲しくて眠れません。
例えば小学生の時、皆が次々と授業課題のプリントを提出する中、一人問題が解けずに途方に暮れたこと。
中学生の時、何度もテキストを反復して挑んだ小テストで「再再々テスト」を受けたこと。(不合格の連続でした)
高校生の時、一生懸命勉強して50点をとった期末試験。前回より高い点数に心のなかで喜んで
いると、「嬉しそうだね。点数よかったの??うち、60点しかとれなかった!やばいよね!」というクラスメイト。
他にも体育の時間にいくらやってもできなかったマット運動や、説明されても形にならない幼稚園の工作など、嫌な記憶は次から次へと湧いてきます。
自分にはできることなんて何もない。そう思うとひどく悲しいです。頑張ってもできないことばかりで、頑張ることもできなくなってきました。
いよいよ自分には何もできません。
(上手に文章が書けずごめんなさい。よく人から説明が下手だと言われます。)
どうしたら「できない」ことへの辛さはなくなりますか。
また「できない自分」とどのように向き合っていけば良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「できない」という思考を見直す
こんにちは。
「授業で指名されたけれど問題が解けない」夢を切っ掛けにして、小中高で「できなかった」記憶が湧いてきて「惨めな気持ち」になるのですね。
「一人問題が解けずに途方に暮れたこと」
ああ、あります、あります。私にも。
ホントに一人取り残されたような孤独感、先が見えない不安、焦り。
そんな時もありました。
「再再々テスト」を受けた、「不合格の連続」だった。
これも、経験ありますよ。勉強じゃないですけど。
皆が輪になって踊る、体育祭のダンスの振りが覚えられなくて・・。
出来ない私は、最後まで衆人環視で晒し者でした・・。
ここまでは、あるあるなのです。
ただ、次はちょっと違います。
「高校生の時、一生懸命勉強して50点をとった期末試験。前回より高い点数に心のなかで喜んで」いたけれど、「クラスメイト」60点をとって、自分のほうが低いことを知って落ち込んだ。これは、比較によって自分を卑下している、ということですね。
小中までの思い出は、上手くいかなかったことについてです。
しかし、高校の時の思い出は、誰かと比較して上手くいかないという落ち込み方をしています。
「頑張ってもできないことばかり」ではないでしょう。
現に高校の時は「一生懸命勉強して」「前回より高い」点をとった。頑張って成果が出ているのではないです。まず、ここは認めてあげましょう。
どうしたら「できない」ことへの辛さはなくなりますか、と問われています。
「できない」のではありません。
一つのハードルをクリア出来ても、次には更に違うハードル(比較など)を用意する思考の癖が「できない」という思い込みにつながっているのだと思います。どう頑張っても「できない」という結論に必ず持っていくルートができてしまっているのではないでしょうか。
あなたには既に頑張る力がある。
できる、のです。
それをただ今まで通り一生懸命やって、一つ一つを丁寧に自分の成果として認めてあげる。後は、ハードルを高くしすぎず、低めに自分の無理のない高さ、ペースを見つけることが大切です。
今まで通り頑張って下さい。
応援しています。
質問者からのお礼
「できないこと」ばかりに注目せず、自分の「できること」にも目をやって、大事にしていこうと思いました。
回答ありがとうございました。
心が軽くなりました。