職場の人の顔色を伺うことについて
いつもお世話になり、ありがとうございます。
先日、職場の方とお話をしていたところ、なんとかさんは難しいから顔色を伺い立ててあげなきゃだから大変だ、みたいな内容になりました。
私は、なんとかさんを難しいと思ったり、顔色を伺ったり、立ててあげなきゃ、など全く思ったことがありませんでした。
自分が気にするのは、話しかけたり用事をがある時に、相手が忙しそうか、どうかくらいです。
世間の方たちは、そんな風に気配りをされているのだ、とショックを受けました。とうに40過ぎて、恥ずかしいのですが。
私はこだわりがあって、ひとの顔色を伺ったり、ご機嫌をとったりしないのではなく、それができないから、やらないのです。自分自身が気を回されたり、必要以上に気遣われたりするのを好まない、というのもあります。
他人を不快にしたり、傷つけたりしないように気を配りますが、気分良くさせよう、とかそういう気持ちはありません。
素晴らしいことがあれば、相手を褒め称えますが、なんでもない時にそういうことはできません。そして、先日に結構皆さんはなんでもないことを褒め称えあったりしてることに気づいてしまいました。
ただ、世間の方たちはそういうことに苦心をしているのに、自分はそんな風に気楽に生きてて良いのかな、と思います。
もちろん 上の人たちには、気に入られないですから、そんなに良い目にはあえません。(それは他人の機嫌をとる努力をしてないのですから、仕方ありません)
私は苦労知らずです。苦労しなきゃ、と思っているのです。でも、他人の顔色を伺ったり機嫌をとったりは無理です。
4月から、職場の編成が変わるのですが、やはり自分もその手のことを頑張るべきでしょうか。
意味のわからない質問で申し訳ありません。でも、私自身は悩んでいます。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
必要に迫られればやりたくなる
仕事ですから、必要に迫られれば自然とやりたくなるのではないでしょうか。
あなたの今のポジション、能力、性格的にまだ必要がない状態なのでしょう。
誰にでも怠けの煩悩やプライドの煩悩があるので、今までやってきたスタイルを変えたくなかったり、他人から自分のやり方を批判されると不愉快に思ってしまいますよね。
ですから、必要じゃない動きはしたくないのが当然でしょうね。
もしもあなたがもっと出世したいとか、同僚やお客様からごひいきにされたいのなら、自分の怠け・プライドと戦って精進しなくてはいけません。
今の状況で問題がないなら、焦る必要はないと思います。
あとは、誰でも老いて能力や外見の魅力は衰えます。
10年後にどうなりたいか、どうなってそうかを考えてみるのは面白いでしょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
怠けなのか、プライドなのか、
自分がどうするべきなのか、よく分からなくなってしまったんです。
皆、えらいな、立派だな、と思いました。
出世などは関係のない場所です。
通用しているのか、わかりませんが、このままいこうと思います。必要に迫られたら、頑張ります。
10年後、漠然としていますが、立派になってたいです。10年間、頑張ってきた、と胸を張って言えるようになりたいです。