はじめまして。
数年前に祖父を亡くし、今でも悔やみます。
大好きな祖父でした。
上京する時も最後まで心配してくれました。
脳梗塞で倒れ、重い腎不全。
助からない状態でした。
意識が途切れ途切れで寝たきり。
そんな弱っていく祖父を見るのがどうしても怖かった。
また来るね。
ああ。
それが最後の会話になりました。
会いに行けたのに、怖くて行けなかった。
未だに悔やみます。
現在、実家に帰って来ていますが母親とあまりうまが合わなく、また上京する予定です。
姉が実家の近くで結婚していますので、すぐに対応出来ると思います。
そんな時にふと、
自分は薄情なのかもしれない。
役に立たない。
また逃げる。
祖父に何も出来ず逃げた私。
両親を見捨てて行くのか?と自分を責める時があります。
要領が良く、何でもできる姉と、出来の悪い私。
劣等感や逃げぐせ。お恥ずかしい限りです。
それでも上京したいと思う私はやはり薄情ですか?
また、このもやもやした気持ちと向き合うにはどうしたらいいですか?
話がまとまらず、申し訳ありません。
よろしくお願いします。
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ますみ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
祖父様のご臨終でのことは、あまりお気になさられずに。「後悔」よりも、どうか「供養」を大切になさられて下さいませ。
真なる「供養」は、「功徳を供に養う」ことになります。
いつでもますみ様は、祖父様と一緒に、供に功徳を積めていけるようにと、なさられて下さいませ。
まあ、「功徳」と言うと大げさですが、要は、平等、分け隔てのない思いやりの心、優しい慈しみの心を持って行う行為が、「功徳」になるとお考え下さい。
次に、お母様とのことですが、ますみ様はますみ様の人生。親離れ、巣立ちも当然のことです。そんなに後ろめたい気持ちは持たれなくてもいいのではないだろうかとは存じます。
むしろ、親御さんにとっては、自分が足かせにと思わせる方がつらいものになるかとも思います。まだ元気でご健在のうちにこそ、ますみ様はますみ様で、やれること、やりたいことを精一杯しておくべきですし、この先ご結婚もされることになりますこともあるかもしれませんし、尚以ってあまり、自分で自分を縛り付けない方が良いのではないだろうか存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌