過去の失言に自己嫌悪がとまりません。
はじめまして。
お忙しい中、ご覧いただきありがとうございます。
私は過去の自分の発言について、後悔、反省することが多々あります。常々一呼吸おいて、相手の立場になって発言することを心がけているつもりなのですが、失礼な言葉が口をついて出てしまうことがあり、なんて愚かな人間なんだと自分自身に絶望します。
発言後良くなかったと思ったときは、すぐに謝罪するようにしていますが、中には時すでに遅く、謝罪する機会がない方もいますし、自分では気づかず傷つけている方もいるだろうと思うと、人とのコミュニケーションがとても怖いです。
特に私の中に後悔として残っているのが、数年前初対面の方の生まれつきの個性に対して、体調が良くないのか、と思い、何も考えずに「どうしたの?大丈夫?」と言ってしまったことです。周りの方は生まれつきと知っていたようで、発言後すぐフォローしてくれ、本人も「よく言われる」と言っていたのですが、とんでもないことを言ってしまったと思いました。そのときも謝罪したかとは思うのですが、きちんと謝罪をしたのかうろ覚えなこと、自分の浅慮で失礼なことを言って傷つけてしまったことを思い出しては胸がしめつけられます。その後連絡を取ることもなく、残酷なことに今では名前も思い出せません。その方の心に自分の発言で傷を残したという罪を背負って、二度とないようにしようという思いと、早くこの罪の意識から逃れたいという身勝手な思いがあります。
このような思いや自分の罪と向き合うにはどのような心持ち、生き方をしていけばよろしいでしょうか。また、他人を思いやる言葉選びをするにはどうすれば良いでしょうか。人のためにも、自分のためにも、もう言葉で人を傷つけたくありません。また、そんな自分は消えた方が世のためなのではないかとすら考えてしまいます。
長文、乱文で申し訳ございませんが、何卒よろしくお願いいたします。
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大変素晴らしい
他人を思いやるということ、大変素晴らしいことだと思います。
いつもそうありたい、私もそう思います。
しかし、大丈夫。人間は愚かなもの。
基本、愚かなものなんですよ。
だから、完璧にはできないしね。
そのよくありたいという気持ちがあることが、大事なんだと思いますよ。
相手だって人間。
そういや、お互い様という考え方、最近あんまり聞きませんねえ。
失敗せずに前へ進むことは、できません。
生長くして恥多しといいます。
誰もがそうやって生きていますよー。
隣の芝生は青くみえたりするけどね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
人間は愚かなもの。その通りですね。
自分以外、みんな綺麗に真っ直ぐ生きているように見えてしんどく感じることもありますが、それは隣の芝生が青く見えているだけなのかもしれません。愚かなりに紆余曲折しながらも成長していきたいです。