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祖母が亡くなりました。

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こんばんは。
実は先日、階を分けてですが、同じ家で暮らしていた大好きだった祖母が亡くなりました。

去年に入ってから体調不良が続いていた祖母が病院に行き検査を受けたところ、子宮癌だったそうで、9月に手術と入院をして癌を摘出する事はできました。けど11月に肺への転移が発覚し、抗がん剤治療の勧めを受けた祖母ですが、拒み私たちは祖母の意志を渋々でしたが受け入れました。

私の祖母の家系は癌家系で、祖母は祖母の姉弟や両親を癌で亡くしました。近くで看取ってきた分抗がん剤治療や病院に対する疑念などが拭いきれなかったようでした。

ここからが私の悩みです。
亡くなった祖母は肺への転移が見つかってからは呼吸が苦しそうだったり、最終的に骨に転移した時は痛がっていたりしました。
亡くなった今、祖母は痛みや苦しみから解放されたと思っています。
それを私は良かったね。もう苦しくないね。と思っているのですが、やはりこれは不謹慎なのでしょうか…?

ここ2、3年前から私は気付かなかったけど祖母は認知症が始まっていたようで、癌が発覚した後には私も気付くほどでした。
きっと自分でも不安だったのではないかと、お医者様は抗がん剤治療をすれば余命は1年程延びると言っていて私も祖母と例え一年でも長くいれるのなら受けてほしいと最初は思っていました。

ただ日々過ごす中、苦しそうに呼吸したり痛いと蹲ったりする祖母を見ていたら、このまま認知症が進んで誰が誰かも忘れてしまうなら、いっそ楽になった方が誰も傷つかないのかな。と思いました。

祖母は生前自身の家族に早く迎えに来てくれと口癖のように言っていて、それは遺される側からしたらとても寂しい言葉でしたが、祖母は49日を過ぎたら会いたい人達に会えますか?
会えるなら、私が祖母に会えない寂しさなんてどうでもいいのです。もしかしたら、私が寿命を迎えた時にまた会えるかもしれないから。

祖母は検体登録をしていて、お葬式をあげることもできないし遺骨が納骨されるのは2、3年後になるらしいのですが、祖母はちゃんと家族の元へ帰れるのでしょうか…
天国へ行けるのでしょうか。

疑問ばかりで申し訳ありません…


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その人らしく生きたのか、周りが尊重して一緒に生きてきたのか

大切な人の最期を、どのように受け止めていくのか。あれでよかったのだろうか、もっと出来ることはなかったのかと悔やんだり、時間があればとの想いが残りますよね。

多くの方の最期を看てきますとね、
どれだけ生きたのかというよりも、
どれだけ その人らしく生きたのかと、それを家族や身近な人が尊重して一緒に生きてきたのか、という時間の過ごし方が大きく影響していきます。

遺された者が、納得していける最期は、いつも ご本人がそう望んでいた、それをそばで聞いてきた、最期まで一緒に生きた実感です。

癌であっても、緩和ケアもなされたことでしょう。
祖母さまが、ご自身の人生を振り返りながら、最期を自分で決めていける安心。先に逝かれた懐かしい方々を想っていらっしゃったのなら、命終えていくことは、決して虚しいものばかりではありません。

なぜなら、仏教は、死は全ての終わりとしないからです。南無阿弥陀仏という仏様は、この世の縁が尽きた後、生まれて往ける世界を用意くださいました。お浄土という世界です。 
阿弥陀さまに願われたいのちは、阿弥陀さまのお浄土へ還っていける。先に往かれた方々は、きっとお浄土で、私たちのことを待っていてくださることでしょう。
だから、手を合わせて生きる者にとっては、この命、決して虚しく終わっていかないのです。

あなたも、祖母さまの往生を願うなら、南無阿弥陀仏なもあみだぶつと、手を合わせお念仏を。

きっと、祖母さまは、痛みも苦しみからも解放され、この世で別れ涙した方々とお会いされているのではないでしょうか。
あなたもまた、いつの日か、大好きな祖母さまに会える日まで。

どうぞ、手を合わせる生き方を。
それが、阿弥陀さまのお救いです。

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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ちなみに。

唯鈴さんのご心痛お察し申し上げます。
また、おばあさまのご冥福をお祈り申し上げます。合掌三唱

身近な方を亡くされると様々な思いが巡ります。それは誰しもが経験することもありますし、人が亡くなるというのはこのようなことなのかと思わざるを得ません。

さて、色々と考えられておられるようですので、ひとつづつお話します。
>亡くなった今、祖母は痛みや苦しみから解放されたと思っています。
それを私は良かったね。もう苦しくないね。と思っているのですが、やはりこれは不謹慎なのでしょうか…?
 不謹慎ではありません。言われる通りです。肉体の苦しみからは解放されるのは事実ですから、今は、その苦しみはありません。ただし、生きてこられた中での思いは継続中ですから、これですべて終わった訳ではありません。魂、意識は消えませんから、継続中と言うことです。

>このまま認知症が進んで誰が誰かも忘れてしまうなら、いっそ楽になった方が誰も傷つかないのかな。と思いました。
 人は寿命で亡くなるので、どのような生き方、病気も含めをしていても、この世の使命、役目が終われば、一旦この世を肉体的に終えるということです。

>会えるなら、私が祖母に会えない寂しさなんてどうでもいいのです。もしかしたら、私が寿命を迎えた時にまた会えるかもしれないから。
 そうですね。又、会えますから、心配しないでください。むしろ、今でも次元が違うので会話はできませんが、充分に交流はされています。ゆえにこれらの会話も通じているということです。

>祖母は検体登録をしていて、お葬式をあげることもできないし遺骨が納骨されるのは2、3年後になるらしいのですが、祖母はちゃんと家族の元へ帰れるのでしょうか…
 どのような検体登録なのかは分かりませんが、私の檀家さんは検体登録をされていましたが、お葬式を行い、そのまま火葬場ではなくご遺体は病院へいきました。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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お祖母様はいつも見守っています

拝読させて頂きました。
大切なお祖母様がお亡くなりになられてあなたもご家族の皆さんも大変悲しい思いをなさっておられるのですね、そして様々なことを思い返しては不安になったり後悔なさっておられるでしょう。あなたやご家族の皆様のお気持ちを心よりお察しします。

お祖母様はご自分の意志で一生懸命に生き抜かれたのです。あなたやご家族の皆様をいつも育み心から幸せに生き抜いていかれたのです。

お祖母様が仏様に導かれて一切の迷いや苦しみや痛みからも救われて心から安らかになります様仏様にお願いさせて頂いて真心こめてご供養申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

お祖母様は必ず仏様がお導きなさって下さり、親しい方々やご先祖様が優しくお祖母様をお迎えになさって下さいます。お祖母様は皆さんに巡り合い仏様から一切の迷いや苦しみや痛みからも解放されて心から安心なさり皆さんと喜び合うことでしょう。お祖母様はご先祖様方と一緒に清らかに円満にご成仏なさっていかれます。そしてあなたやご家族の皆様をいつも優しく見守っていて下さいます。

あなたやご家族の皆様のかなしみやさみしいお気持ちや後悔の念は消えないでしょう。

どうかお祖母様を心から思い手を合わせて下さい。そして真心こめてご供養なさって下さいね。そしてあなたやご家族の皆様それぞれの思いをお祖母様にありのまま素直にお伝えなさって下さいね。お祖母様はあなたやご家族の皆様の思いをそのまま全て受けとめて下さり優しくなぐさめて下さいます。

お祖母様とあなたやご家族の皆様とのご縁はこれからもずっと続いていくのです。いつでもどこでも何をしていてもお祖母様はあなたやご家族の皆様をいつも優しく見守っていて下さいます。そして寄り添っていて下さいますからね。

いつの日か皆さんが天寿を全うなさる時には仏様がお導きなさって下さり、お祖母様がご先祖様方と一緒に優しくお迎えになって下さいます。そして共に喜び合うことでしょう。

それまでいつも見守っていて下さいね、とお祖母様にお願いなさって下さいね。

あなたやご家族の皆様がこれからもお祖母様とのご縁を大切になさりながら仲良く心から幸せに生き抜いていかれます様心よりお祖母様お祈りさせて頂きますね。

ご納骨は先になるでしょうからあわてずにゆっくりなさって下さいね。お祖母様はいつも皆さんを見守っています。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

鈴木様、中田様、ありがとうございます。

今も祖母の事を考えると鼻の奥がツーンとして涙が出ます。
でもお二人のお言葉で、私が寿命を果たすまで会えないのではなく、目を見て会話をする事はできずとも話す事ができるのだと分かりました。

この世での最期は亡くなるその日の朝に薬で眠っている祖母に一方的に話しかける形でしたが、ありがとう、またね、と手を握って言えて良かったなと思っております。まずは、手を合わせて祖母に良かったねって言ってみようかなと思います。

きっとこれからまだまだ祖母との思い出を思い返しては泣きそうになるのだろうけど、思い出を大切にして、思い出す度に手を合わせて「こんな事もあったね」なんて語りかけてみます。

祖母は私達を見守っていてくれると思いますが、この世で最後の時を迎えるまで祖母や、悲しいですが順当に行けばこれから私よりも先に逝くであろう家族に恥じぬ生き方をしようと思います。
本当にありがとうございました。

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