仏教で、親子とはどういうもの?
私は実家は裕福ではありませんでしたが、両親が働き者で、レジャーや自分のことを後回しにしても、子供のためにお金を使ったり、子供のために貯金する人でした。
おかげで、お金には不自由を感じずに育てられ、裕福でもないのに高校、大学と私立に通わせてもらいました。
当時はもっと家族でレジャーしたり、親が自分のためにお金使ったらいいのに、と思っていましたが、とても感謝しています。
今、私も結婚し、子供がいます。
両親の影響からか、私も自分のために使う分があるなら、子供のために使ったり、残そうと思うようになりました。
今では両親の気持ちがよく分かります。
子供ができて初めて、自分よりも何倍も大事に思える存在、愛しい存在があることを知り、子供のために尽くすのがむしろ幸せと思うようになりました。
長くなりましたが、そんなことを思うようになり、仏教では親子とはどういうものとして考えられているのか気になりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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互いに愛すべき関係
あおいさま
親子の関係とは、「無条件で愛せる関係」と言いたいところですが、必ずしもそうとも限りません。
親子の関係で大切なことは、親子という関係だからこそ勘違いしてしまう愛があるということです。
大切な存在であることは間違いないですが、近い存在であるがため、距離が近くなりすぎることがあります。
親は、子供をまるで自分のモノのように思い、思い通りしようとしてしまう。これは「愛」ではなく、束縛、征服です。一定の距離を保ちつつ、一人の人間として認めることです。
逆に、あまりに放任しすぎる方は、自分を大切にしすぎ、子供を視野に入れないことが考えられます。「自他不二」自他は二つではないのです。
境を作らないことで、まるで自分かのように相手を大切にできる。しかし、別々の存在でもあるわけで、尊重してあげることも大切。
一言では言えませんが、親子の関係は、別々の存在でありそうでそうではない。しかし慈しみの心が自然とわき起こるそんな関係なのでしょう。
質問者からのお礼
邦元様
コメントありがとうございます。
コメントを読んでいて、そういえば両親は両親の理想や、できなくて心残りに思ってることを私に押し付けていた部分があったなぁと思い出しました。
確かにこのままいくと、私も子供に私の理想を押し付けたりしかねなかったと思いました。
子供には子供の人生があること、それを尊重してあげる大切さ、身にしみました。