大学生ですが人生に悩んでいます。
大学生ですが人生に悩んでいます。
大学への進路の際に、親と大喧嘩して行きたくなかった学部に行かされました。当時は自分で稼げるだけのお金もなく仕方なくでしたが、その代わりに大好きな野球を続けることができそこで頑張ろうと思っていました。
ところが野球部の中心メンバーとそりがあわず、途中でやめてしまい、更には行きたくなかった学部だったこともあり、学部内では完全に孤立しており、本当に友達がいない状況になりました。毎日進学の際に親に逆らってでも希望の進路に行くべきだったなとと後悔する日々で、野球が好きかどうかも分からなくなり、やりたいことも見つからず、相談できる相手もおらず、日々スマホを眺めるだけの時間を過ごしておりこのままでいいのかと思いながらも過ごしております。
人生に意味を見出せなくなってしまいました。どうしたらいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
男の人生は自分で稼ぐようになってから。
こんにちは。
学生のうちは親に経済的に依存せざるを得ないですからなかなかしんどいですね。
実は私も同じような経験があり、中高生時代は今風に言えば黒歴史というか、ある日突然全く経験もないバレーボール部員になっていたりとか、一人だけ違う色のユニフォームだったりとか実に屈辱的な思いもしたものです。
高3の時には親から離れようとこっそり防衛関連の試験を受け合格し、内定も頂いていたのですが親が勝手に辞退して返送しておりました。
親として子供に基本的な人間としての生き方を教えるのは当然ですが、生き方まで強制する権利は無いと思います。江戸時代じゃないんだから。
ですが自分の人生を取り戻すための闘い、努力はしないといけません。
今後たかひろさんが遅まきながらも自分の夢を叶えよう、自分の人生の舵を取り戻そうとするにも、学費だったりその他活動費とまずは先立つものが必要だったりしますよね。
まだまだお若いので頑張れば自分の人生航路を修正することは不可能ではないと思います。
時節到来のその時まで臥薪嘗胆のつもりで親に頼らなくてもいいくらいのお金を貯めることに集中したりなど、生きる目標を設定し直してはいかがでしょうか?
ちなみに私は学生時代お昼は宿坊などでのアルバイト、夜は近くの飲食店でお金貯めてましたよ。そこでの縁もまた後に繋がるものもあったりで色々といい経験になりました。
同じ思いをしている人や味方になってくれる人は必ずいます、頑張ってください!
学問とは六感からのインプット
野球・勉強をするんじゃァないのです。野球・学問でアンタ自身をやっていたのです。アナタ自身を。
野球で人生や人間や身心を学んでおったのです。
人生は一生、この自己の活動しかありません。
だから野球が好きなんじゃァなくて自己を学ぶということが人間、好きなのです。そんな見方を大切にすること。そうすることでもっと大きな学び(覚)が手に入る。
野球が好きだったのは野球を通じて「それ」を学ぶのが自分の性に合っていたという視点。別にヤキューでなくて大丈夫です。イヤ、ホント。マジで。ガチで。
同じように好きな学部に行ったからと言って人間、一生懸命勉強するかっちゅーとそうでもなかったりするもんです。全く予測不能な分野の方が人間、学び意識がモエるものです。お寺業界も仏教学部に入ったから仏教チョー勉強してる坊さんばかりかというとSOでもなかったりします。仏教も本当は仏教を学ぶんじゃァありません。仏教を通してこの自己を学ぶ。お釈迦さまも仏教を学んだのではないって意味わかりますかね?お釈迦さまの時代にブッキョーなんて言葉ありませんでしたでしょ?ここ坊さんも仏教者も見落としている大事な盲点。
この回答もそうでしょうに。仏教とか勉強、学問でないことなどありましょうか?学ぶ気があれば人生、一生、自己の勉強あるのみ。今、ここ、己、そのこと、そのものあるところ、人生、常に学ぶものばかり。
ここは思い切って学問・学習・勉強ということそのものの価値観を変えてみることをお勧めします。私は高校は全ッッッ然、仏教とは関係ない学校に行きましたが、それはそれでとても勉強になる経験でした。例えば人間、ガッコーのベンキョーがツマンネーと気持ちは他に向かうでしょう。それは集中していない姿であるともいえますが、ツマンネーからその他のことをチョー全力集中、全集中している姿でもあるのですよ。
人間には身心しかありません。目耳鼻口身心が学び場、学び舎、道場なのですヨ。
「あなたたちは〇〇を学ぶのではない。〇〇で❝なに❞を学ぶか、だ。」
天才ギタリスト、ランディー・ローズはクラシックギタリストでありながらロックの歴史に残る誰も超えられないギタリストになりました。成功者はただ一つのことをやるだけではなく、王道・本道を別の経路からも学び、双方のエッセンスを融合させて最高のものを作り上げるのです。人生自己の学びでない時は無し。
現状の中でどれだけ自分を変えていけるか
こんにちは。
「行きたくなかった学部」に我慢しつつ、「大好きな野球を続ける」ことで持ちこたえていた大学生活が、「途中でやめてしま」うことで居場所がなくなった、こういう状態だと思います。
あなたが何年生なのか(2年生、3年生でも就活など卒業までの状況は違います)、行きたかった学部と「行きたくなかった学部」の系統の違い(理系と文系ぐらい違うのか)は分かりません。
大学は所属するサークルなり、団体なり、一定の仲間なりがないと所属感覚がなく宙ぶらりんになってしまいます。いままであなたの居場所、交際範囲は「野球部」だったと思います。
ただ、退部してからでも個人的なお付き合いは出来ると思うのですが、「本当に友達がいない状況」というのはそれも出来ない理由があるのでしょうか。退部の経緯と関係があるのかもしれません。
また、恐らく「野球部」で一年以上過ごしてきたとは思いますが、「相談できる相手もおらず」というのは何故なのだろうか、と感じました。密に忌憚なくお話できる友人が、一人二人居てもおかしくないと思うのです。
「野球部の中心メンバーとそりがあわず、途中でやめてしまい」という詳しい経緯は分かりません。しかし、そもそも親しい人間関係を築く為の、自分の側の準備が不足していた一面はありませんか。自分のプライドを守るために頑なになったり、相手の視点に立てず自分の視点ばかりでものを見たり考えてしまったりという点はいかがでしょう。
現状「行きたくなかった学部」に身をおいているのは不本意だと思います。
ただ、もしあなたの他者への構えが元々孤立していく方向にあったならば、それは行きたい学部に言っても、就きたい職業についても同様の悩みに直面するのではと思います。
このため、「野球部」ではなく野球サークル、同好会や地元の草野球チームなどを探して再スタートを切りつつ、打ち解けられるような人間関係を作ることが大切ではないでしょうか。現在の学部内でもゼミなど一定の所属はあると思います。現状の中でどれだけ自分を変えていけるか、気持ちを切り替えていけるかに「人生に意味を見出せ」るか否かがあるように思いました。