親を毒親と呼ぶ自分は器の小さい人間か
家庭内暴力の中で育ち、それでも親に幸せになって欲しくて頑張るも、父は浮気、暴力を繰り返し母親は家を出て離婚。その後も、世の中の恨みつらみばかり吐く母親に何とか幸せになって欲しくて私からドライブに誘ったり、ショッピングや食事に誘ったりと私なりに働きかけるが、母の毒づきは収まらず、疲れはてた頃、母に肝臓がんが見つかり闘病するが2年程で他界。正直ほっとした自分がいました。父は脳梗塞、心筋梗塞で、入院、手術するが、あまりのワンマンぶりに嫌気がさし、今は疎遠。私自信生きづらさが消えず、いろんな本を読み、自分の親は毒親なんだと結論づけ、精神のバランスを取っていますが、どうしようもなく自己嫌悪に陥り、自分の器の小さいことが生きづらさのそもそもの根源なのではないかと悩み、心療内科に10年以上通院しています。自身の生い立ちを恨み、辛かった、恐ろしかった幼少期の記憶に苦しみ、そんな親にも時折良い想い出があるため、余計に自分を責めてしまいます。苦しくて、早く天からお迎えが来ないかな?と思ってしまうこともあります。人生を前向きに捉え、降りかかった不運を人間力に変えて、せめて子供たちの支えになる親になるには、どうすれば良いのでしょうか?
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「親」という正しい生き方なんて、ないのだと思います。
親子だもの、特別でありたいって、望むのが自然ですよね。
だから、そうじゃなかった現実に苦しんでこられた。親を切ったり捨てたり、あなたの心がそう出来なかった。
だって、愛されたいものね。
誰だってそうですよね。
生まれてきてくれてありがとう。
あなたが大事よ。
可愛い私の娘って、抱きしめて温もりがほしかった。そして、親の幸せな姿を一緒に感じて生きていきたかった。
だから、「毒親」認定することにもスッキリ出来なくて。親に対して、自分の立ち位置がわからなくなって苦しんできたのではないでしょうか。
みんな、他人の立場を生きられません。
親には、親がそう振る舞うしかない理由あったのでしょうね。そんな環境の中で あなたは、自分を生きることと、親が親として生きてほしいと求める自分とで、疲れてしまったのではないですか。
これからは、あなたが生きたいように、あなたの立場だけを考えていけばいいのですよ。
お子さんに対しても、親だからと肩に力を入れずに、一緒に生きていこうね〜いつまでも味方でいるからね と。ときには、お子さんの存在に支えられる親(あなた)であってもいいんじゃないのかしら。
「親」という正しい生き方なんて、ないのだと思います。
自分に出来ることを。わが子を見捨てず一緒に生きていく。
そんな親でいいじゃない。
あたたかいよ〜そんな存在は◎
追記。。。
見捨てずというのは、「あなたがお子さんを見捨てず」という意味です。
質問者からのお礼
温かいお言葉、ありがとうございます。「親を見捨てず一緒に生きていく」。それは今の私にはできません。もしかしたら死ぬまでできないかもしれない。けれど、お言葉にもあるように、これからは自分の立場を考え、生きたいように生きられるように心がけていこうと思いました。
お言葉の意味を取り違えていたようです。追記して下さりありがとうございました。