先延ばしになる母の海洋葬、一周忌
去年の春に大好きな母がガンで亡くなりました。数少ない母の遺言は死んだら海洋葬にして欲しいということです(母は海の近くの生まれでした)。
実家の近くに海はなく、コロナもあるためネットで海洋葬をしてくれる所を探しました。しかし父に提案しても「まだいいよ」「コロナが落ち着くまで待とう」の一点張り。一周忌にしても、今年から私が関西に転勤になり、コロナもあって帰れないが父と姉で一周忌をして欲しいと言っても父は「家族3人そろってやろう」「コロナがもう少し落ち着かないと、歳をとっている住職に頼むのは申し訳ない」と言って何も出来ませんでした。そして今度のゴールデンウィークは私が帰省できるので今度こそ一周忌をやろうと言ったのに、「お姉ちゃんの仕事が忙しくて唯一の休みの日も半日は仕事。休ませてやろう」「また次に3人揃った時にやろう」と。今度私が帰省できるのは早くても8月のお盆です。
葬送も一周忌も、所詮は私の自己満足だということは分かっているんです。何も出来なくても心から祈ればいいとは思います。でも母の遺言である海洋葬も出来ず、一周忌さえ先延ばし。このことに対して、というよりそれでよしとする父にどうしようもない憤りを感じてしまうんです。海洋葬に関しては、お骨を海に撒いてしまうという、母の形を成していたものをお墓として一つの場所に納めるのとは違うことに、躊躇いやどうしようもない寂しさを私も感じてはいるので、父もまだ踏ん切りがつかないのかなと思うところはあります。
しかしせめて一周忌はちゃんとやりたいと思うのです。私と父の2人でお寺に行ってお経をあげてもらうのはだめなのかと聞いても、やはり「3人揃ってやろう」と言うのです。
こんなことにこだわって父に怒りを覚えるのは、母が生きている時も亡くなった後も、私自身が母に対して母のためになるようなことをろくにしてこなかったから、今更後ろめたく思って躍起になっているのかなとも思います。
頭ではそう思っても、父に対する憤りがどうしようもなくわいてきてしまいます。この感情を静めたいです。どうしたらいいのでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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葬儀も法事も、自己満足ではありませんよ。意味があるから家族で
葬儀も一周忌(法事)も、自己満足ではありませんよ。死を受け止め、命と向き合い、どのように生きていくのかに気づかされる大事な学びのご縁です。そこに届いてくださる仏法に出遇っていく尊い時間です。
だから、御命日を過ぎても構いません。縁ある方々が、手を合わせる、向き合う機会を省いていかれることは、望ましくありません。
お父さまが、家族揃ってと仰るには、意味と想いがあるからだと思いますよ。
縁は、焦って結ぶものではありません。遺骨というものはその方を想える形となって遺っているものです。いざ、散骨.納骨をしていきますと、寂しさが増すもの、それが人の気持ち(煩悩)です。
お母さまの遺言を、推し進めるよりも、お母さまが描いた想いを家族で共有する、これでいいんだよねと納得していける時間を持つことが大事じゃないのかしら。家族が揉めることを望んでおられないわ。
あなたの、してあげたいという形に、本当は期限なんてないでしょ?
お母さまへの想いが、そこにあるのだよね。
それなら、家族が揃うことにも、大事な意味があるのではないかしら。



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