何も伝えられず終わってしまいました。
先日「犯罪者にも理由はある」という一言を耳にしました。私が悪いことは重々理解し反省しています。でも私にも理由はあったのです。10年以上前結婚直後に生活費として渡した100万円。生活に余裕ができてきたら返してほしいと元妻には頼んでいました。結婚後はずっとお小遣い月1万円。もちろん欲しいと頼めば3000円くらいは貰うことはできました。でも家庭の事を考えあまり貰わないようにしていました。床屋代を削るために自分でバリカンで切ったり、電気代を節約して家計に負担を掛けないように心掛けていました。でもやはり月1万円の小遣いでは足りずヘソクリで賄いながらやりくりしていました。自分のヘソクリも減り続け、返してほしい100万円は家庭の事を考えると返してもらい辛いお金、返してもらえる見込みもないお金になっていました。結局1円も返ってくることはありませんでした。そんな中、右腕が壊死性筋膜炎という病気にかかり自由が効かなくなりました。リハビリに通いながら通院する毎日。家庭に迷惑や負担を掛けたくなく、病院代以外は自分のヘソクリで賄うようにしましたがヘソクリも減り続け、リハビリに行く時の昼食は次第に万引きしたおにぎりやパンになりました。今後働けるか分からない私にはその方法しか思いつきませんでした。幸いリハビリや仕事をしながらのリハビリにより少しずつ良くなりましたが、万引きはなくなりませんでした。自分の得、家族の得、自分勝手な考え方に変わっていったのだと思います。歪んだ愛情ではあったことは間違いありません。
結局逮捕後は弁護士を雇うお金もなく国選弁護人もあまり守ってはくれませんでした。お金を返してほしいわけではなく、もしお金が返ってきていたなら私の人生は変わっていたかもしれません、弁護士を雇うこともできたかもしれません、自分を守ることができたかもしれません。お金は家族であっても貸すものじゃないなと思いました。上記のような理由は裁判官にも元嫁にも伝えられないままで終わってしまいました。今更伝えたところで何も変わりはしませんが、私にも理由があったことは知ってほしかった、そう思うことがよくあります。私が犯罪を犯したことに間違いはありません。でも被害者でもあることを少しだけでも理解してほしかった。そんな事を言える立場ではありませんが、それを伝えられなかったことが今でも心残りで仕方ないのが本音です。
幸せそうな家族を見ると孤独で寂しく諦めなければいけないのにやり直したい気持ちが強くなってしまいます。やり直せるはずもないのに期待してしまう自分がいて、何年かしたら帰れるかもしれないそう思ってしまいます
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どこまでも人のせいではなく自分のせい、を徹底すべき
こんにちは。
あなたとは当初からのご縁があります。
いままでは、奥さんや子供さんと別れて寂しい、なるべく早く復縁したいという視点でのご質問が多かったです。しかし、今回は自分の方に視点が移っている、と言うところでの変化を感じます。
文面の中に、私が前回含めて述べたことを反映してくれていることが分かります。特に、「自分の得、家族の得、自分勝手な考え方に変わっていったのだと思います。歪んだ愛情ではあったことは間違いありません」という自省の言葉には、私が考えてほしいと提案したことが、あなたの心の一部になっていることを感じました。
「犯罪者にも理由はある」という意味のことわざはあります。
敢えて言葉には出しませんが。
ただ、その意味は盗みをしたそれなりの理由や言い分がある、ということが一つ。そして、 今一つはどんなことであっても、つけようと思えばそれなりの理屈がつくものだ、という少し皮肉を込めた言い方でもあります。
「そんな事を言える立場ではありませんが、それを伝えられなかったことが今でも心残りで仕方ないのが本音です」と書いてあるその心情は察します。どんな状況にあっても、自分を理解してほしい、自分にも言いたいことがある、その心情は。
しかし、「被害者でもある」というのは、少し甘い気がします。
細かい話になりますが、「リハビリに通いながら通院する毎日」で、段々と懐が寒くなってきたから「昼食は次第に万引きしたおにぎりやパンになりました」というのは言い訳です。手が不自由ならば、おにぎりを握ってもらって持参することも出来たのではないですか。恐らく左腕は不自由がなかったでしょうから、ある程度のことは出来たはずです。ましてや、「万引き」の理由にはなりません。
「返してほしい100万円」は、そのお家の収支が分からないので何とも言えません。しかし、子供さんを抱える家庭では何かと物入りだったことは十分考えられ、「結局1円も返って」こなかったと考えるより、家庭に子供の費用として使ったのだと得心するべき内容だとも思います。
また、「弁護士を雇う」お金の有無で、「万引き」が罪一等減じられたとしても、その犯罪の事実は家族にとっては同じことです。
心情を理解してほしい気持ちは察します。
しかし、どこまでも人のせいではなく、自分のせい。
これを徹底をすべきかと思います(字数制限)
質問者からのお礼
釋住職に読んで頂けること、本当に嬉しく思います。1度もお会いしたこともないのに、全てを見ていて下さり理解していて下さるようで心の支えとなっています。
勾留中に新聞に載ってしまったと知った時に全てを諦めてしまいました。「これ以上家族に迷惑を掛けられない」弁護士を雇うことで金銭的な負担も掛けてしまうことを恐れ自分を守ることも諦めてしまった、すごく後悔しています。今考えると国選弁護人はあまり力を貸してはくれなかったように思います。私選弁護士をつけていれば罪の重さや刑罰の期間は変わらなかったとしても、もう少し自分の気持ちを伝えることぐらいはできていたかもしれません。結局世の中はお金なのか、そう思わされる最後でした。決して貸したお金が返ってきていたなら…、貸したお金を返してほしい…、そんなふうに思っているわけではありません。むしろ元妻に「もうお金は十分です」そう思ってもらえるくらいに支援し続けていこう、そう思っています。
釋住職に助言を頂いた通り全て自分のせいだと反省しています。ただ元嫁にはほんの少しだけでもそんなことがあったことを思い出し、少しだけでも私のことを考えてもらえたらなぁと強く思ってしまいます。決して元嫁のせいだとは微塵も思っていません。少しだけ私のことを考えてほしかった、ただそれだけです。全く憎んでもいません。
大事にしてあげられず守ってあげられず申し訳なかったという思いで一杯です。今の私ができる精一杯のやさしさや思いやりを「手紙」という方法で伝えていきたい、そう思い1ヶ月に1度程度で子供達への手紙と共に、前向きな内容を書いた手紙を送るようにしています。いつの日か返事がもらえたらなぁと思います。
兵庫県のほうはコロナウイルスが猛威を奮っているとニュースで聞こえてきます。どうかお身体を大事にお過ごし下さい。
追記:事件後こんな私にも本当に1人だけ友達と言ってくれ、連絡してくれたり会いにきてくれる親友がいます。このhasunohaのことも知ってくれています。私にとって大切な親友となり心の支えとなってくれています。ただ寂しさのあまりその子だけに負担を掛けてしまい心苦しく思うことがあります。