真言宗の自死について
5月2日に兄が自死しました。
真言宗の自死について調べると、自死は地獄いき決定とでてきました。
これは本当なんでしょうか?
生前、苦しくて辛くて今回に至ったのに、まだ苦しまなくてはいけないということですか?
また、供養によって救われる場合との意見もありましたが、実際の供養とはどういったことを言うのでしょうか?
私は妹の立場で、結婚しており遠方に住んでいるのですが、それですと位牌に直接、お経を唱えることができないので無意味なのでしょうか
家庭環境が複雑で兄が苦しんでいるのを知っていたはずの私が助けてあげれなかったのを今でも悔やんでいます。
なので、兄の自死が悪いことだとも思わないですし、なんなら兄は自死じゃない、病死だとも思っています。
何個か質問があります。
真言宗ですど
・自死は理由関係なく地獄いきなのか
・49日までどういった行動を兄は取るのか
・供養は離れた場所からは無意味なのか
お聞きしたいです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
供養
コーラさま
お兄様のこと、誠におつらいことでございます。
仏さまのより善きお導きがありますようにご供養申し上げます。
・自死は理由関係なく地獄いきなのか
自死がどのような業(カルマ)となるのかはケースバイケースとなります。
大きく分けると、無明(根本的な無知)・煩悩による場合、無明・煩悩によらない場合、無明・煩悩によらず正しい智慧による場合のいずれかになります。
悪業になる場合、中性な場合、善業になる場合として。
では、その方の自死は、いったいどれになるのかというのは、私たち凡夫においては人の真なる心の内実、動機を知り得ることは非常に難しく、第三者から判断してこれだと明確にはなかなか言えないものでもあります。また、業は総合的なものとなります。過去世、今世の全体の業を勘案しなければならないものとなります。
・49日までどういった行動を兄は取るのか
死後、中有・中陰という期間を経て、次の生へと向かうことになりますが、それがすぐに終わる場合もあれば、最長で49日間になる場合もあります。
通常の場合、凡夫においては中有・中陰の期間の意識、心は非常に不安定なもので、それを安定させてあげて、また、善き赴き、仏縁に依る善き導きがあるようにとして行うのが通夜葬儀、追善供養となります。
・供養は離れた場所からは無意味なのか
供養は、亡くなった方へと向ければ届くものとなります。回向と申します。
この供養を亡くなった方を思い浮かべながら〇〇(俗名、戒名)へと向けますと念じて頂ければと存じます。
供養は、色々とあります。お花や物をお供えをしたり、お経やご真言を唱えたり、代わりに善行を積んだり(功徳)と。
誰もができる功徳(追善供養)につきましては、下記拙法話をご参考になさって下さい。
拙法話「追善供養」
またこちらもご参考下さい。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お返事が遅くなりましたが、大変勉強になりました。
ありがとうございます。
まだ心が落ち着かず、自分を立ち直させる意味でも供養はしっかりしたいと考えていたので、とても助かりました…
無事に上へいけるよう願っています
本当にありがとうございました!