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生きるのが怖くなります

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有り難し有り難し 15

現在、うつと胃の不調に悩んでいます。
胃の方は検査をして言われた通りに治療に励んでいますがなかなか回復しません。色々調べるともう何年も薬を飲み続けている人もいて絶望的な気持ちになります。

もうこのまま、まともに食事が出来ないのか、好きな物もずっと食べられないのかと。

体調不良のせいで日常生活にもかなり支障があり、もうずっと普通の生活を送れないんだろうか…と悩むうちに、うつが悪化してしまいました。
もうずっとこんなにしんどいなら死んでしまったほうがマシだと自殺未遂もしました。

それでもまだ本心が死にたくないと言ううちはなんとか…と模索してみるのですが、やはり生きようとするとこれから先のことが怖くなります。
自分が今何をすべきか考えていると、もうやっぱり嫌だという気持ちになります。
この先待ち受ける苦悩を乗り越えられる気がしません。

何とか今は生きていますが、いずれ自らの手で全て終わらせようという決心が心にいつもあります。
生きたい…でも生きるのが難しいです。
家族の理解も得られず、気の持ちようだ!しんどいと思うからしんどくなるんだ!寝てばかりじゃなくて何か変える努力しろ!と追い詰めることばかり言うので、そういうのも疲れました。
死にたくない…生きたくない…常にその葛藤の狭間で揺れ動くことしかできない自分も嫌になります。
でも抜け出し方が見つけられません…


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

脳内アプリに「仏道」を

人間には人間の世界の道があるもんで。
人の姿をした👹オニ、餓鬼畜生もいるんですわい。
人のことをオニだの餓鬼畜生だなんていっちゃだめよとか甘っちょろいことを言ったって被害にあっている人がいる以上、実際に非道な人間はいるもんです。
イイヒトばっかりの世の中じゃぁありませんからねぇ。
だからこそ、そんな危ない人やおっかない人が多い世の中でもその悪意に染まらずに屈せずに負けずに前を向いて心に善玉菌を増やして生きていこうという精神が仏道です。
簡単に言えば歯だって磨かなければ虫歯になる。
心だって悪いもんに毒されて毒されたままではすっきりしない。
ああ、そうだ、その時私は病んだけれどもいつまでもその毒素に染まっている場合じゃない。そして、これからもそんなことがあっても心が毒されないように強くならなきゃダメなんだと思いを強く起こすこと。
お釈迦様だって、人生嫌なことばっかりだった。
だからこそ、そこから救われたいと本気で奮起したのです。
私だってシニテーと思うことしばしば。
それでもシンデタマルカ!と(# ゚Д゚)怒りとともに菩提心。
この世に悟りや救われる教えが本当にあるのならばそれをあきらめてから死のうと思えばいいのです。
実際におsれに出会えば人生がガッツ石松じゃないですが360度変わります。(戻っちゃったんかい)実際に360度なのです。同じ景色なのに見え方や感じ方が変わる。それはなぜか。
「我、思うがゆえに我あり」ではなく「我、変なことを思うがゆえに変な心になる我あり」なのです。だから人は苦しいのです。
「はじめに言葉ありき」は嘘で「はじめに言葉の前から存在する事実ありき」なのです。そこがわかればあなたももう暗い言葉を口にすることもなくなるのです。そりゃぁ嫌なことはあるでしょうが、あなたにとっての一番の苦しみはその嫌なことがまた起こるんじゃなかろうかといたずらに自分を不安にさせたり、暗いことやネガティブなことを考えてしまうその考えの毒素で苦しいからなのです。
アタシがあの時、あの暗い考えをおこさなければ私の心は傷つかなかった、毒されなかったのでは?と思いを馳せましょう。
そして、私の負のリアクション芸人のようなネガティブ反応を変えたいとおもうことです。
その方法を求めればいいだけなのです。
その気になったら電話ください。
仏道はあなたのような苦しい人のためにある。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたのお気持ちわかります

拝読させて頂きました。
あなたが今も病に苦しんでおられることを読ませて頂きました。あなたのお気持ちわかります。あなたのその苦しみを心よりお察しします。
あなたは決して独りではありません、あなたはここで私達とも既につながっています。今まであなたは一生懸命に生きていらしたことでしょう。その中であなたにとって本当に受け入れがたい辛いことが幾つもあなたにおそいかかっていらしたのかとお思いますし、今尚あなたを追い込み苦しめているのかと思います。
宜しければあなたの心の中だけでそのつらい思い苦しみ、いっそ死んでしまいたいと思ってしまうお気持ちや生きることへの恐れをゆっくりとお話なさってみて下さい。
またあなたが生きていきたいと思うお気持ちをゆっくりと教えて下さいね。

人生は様々な困難や苦しみが訪れます、それは一人の人間では抱えきらないことばかりです。様々な困難はなかなか受けとめることはできないものばかりです。

私達は誰もが弱くはなない存在です。どうかあなたの思いを独りで抱えずにここでも、或いは専門医の方やカウンセラーの方々にもお話なさってみて下さい。そして少しずつでもあなたのつらい思いを軽くしたり分かち合っていきましょうね。
また胃腸の病も決してあわてずにゆっくりと身体を労わりながら治療なさって下さいね。
あなたの病は必ず回復していきます。様々な方々とのつながりやサポートの中で必ず回復なさっていくのです。

あなたのその病が回復なさりあなたの心も穏やかに安らかになり、毎日をお健やかに生きていかれます様心から祈っていますね。
またあなたをここでもお待ちしてますね。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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