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出家すべきか?

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お世話になっておリます。

在家の人間が出家してお坊さんになることについて相談させてください。

私は現在、32歳の会社員として働いています。

昔から人よりいろいろな面で劣っていると思うことが多く、孤独感を感じたり、生きる意味がわからないなどがあり、出家するという事に強い興味がありました。(もちろん、出家したからといってすべての辛さから開放されるとは思っていません。お寺も組織ですし、人間関係の辛さ、修行の辛さもあるだろうとは認識しています。)

日々生きていく中で、どうしても何か大きな目的を求め続けてしまうのです。これは何の意味があるんだろう?いずれ死んでしまうのに、確実で変わらないことなんて無いのに、と考えてしまい、心に大きな穴が空いていてそこから生気みたいなものが抜けている感じです。

仏教や禅を本などでは学んでいますが、やはり体験にまさるものは無いのでは、と考えています。出家して修行したい、そうすべきなのでは?と考えることが最近増えています。

皆様の出家に至った経緯や、その時の心境、出家するということについて、ご意見をいただけますと幸いです。

何卒よろしくお願いいたします。

以上

2021年5月24日 5:43

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今、どこまで「体験」に身を投じているか

こんにちは。

「仏教や禅を本などでは学んでいます」とのこと。
仏教にご縁があることは、得難いことです。

現在あなたは、座学に留まらず「体験にまさるものは無い」から「出家して修行したい」という思いが強くなってきたのですね。確かに、仏教はどんな宗派であっても「行」があります。「行」の伴わない学は、ともすれば思考の遊戯になってしまうのであなたの方向性としては宜しいのだと思います。

ただ、一点気になるのは、あなたが今「会社員」として日常を送りながら、どこまで「体験」に身を投じているか、が文面からは分からないところです。私は浄土真宗なので詳しくは分かりませんが、一般に参禅の門戸は広く開かれていると見聞きします。週末を利用したり、まとまった休暇で合宿に参加したりなどは可能でしょう。或いは、私の宗派でしたら基本的に法話を聞くことが基本であり応用なので、「出家」せず日常生活を送りながらでも十分仏教を「体験」出来ます。

どの方向性の仏教を求めているか、にもよるということです。
それは、「出家」が必要かそうでないか、も含めて。

もし、あなたが現状出来うるところで最大限に仕事との両立で仏教を「体験」出来ていないとするならば、まずとことん「体験」をしつくすつもりで努力し、「体験」以上のものを本格的に求める時に初めて「出家」等を判断するのが順当であると思いました。

「出家に至った経緯」等は、あなたがどの辺りまで座学と「体験」を高めているかを伺ってからが適当だと思いましたので、今回は敢えて控えさせて頂きます。

2021年5月24日 7:42
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浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...

在家出身で住職になった者です。

私は30歳で脱サラして
親戚のお寺に入りました。
サラリーマン生活に辛くなっていた時に
後継者候補の話があったので
渡りに船とばかりに即決しました。
今はお寺からの給料で生活しています。

あなたの思う出家とは
どの程度なのでしょうか?
僧侶としての収入だけで
生活していくつもりでしょうか?
会社は辞めずに
身を入れて仏教の勉強をしていくことでしょうか?

残念ながら
今はお寺がどんどん潰れている時代です。
全て経済的な理由に依ります。
多くのお寺も
住職が兼業して生活しています。

ただ
仏教を学ぶことで
あなたが置かれている状況への向きあい方が変化して
今の辛さが軽減するだろうとも思います。

先ずはしっかりお聴聞を始めてみてください。

2021年5月24日 11:42
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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

出家したい高校生です

こんにちは。 私は高校一年生の女子です。 私は、家庭環境が複雑で、中学校にもあまり通うことができず、今は通信制の高校に在籍しています。 通信制であるため、一日のほとんどを家で過ごしており、時間を無駄にしている虚しさに襲われることがあります。 そんな私の好きなことが、美術と哲学、宗教学でした。そういった学問は孤独な人生を送ってきた私にとって心の支えでした。 元々は美術の方をメインに学んでおりデザイナーを志していましたが、学費や家庭の諸事情からそれが難しくなってしまい、自分の生き方に悩み、精神を病んでしまいました。 そして精神状態を良くするために今度は哲学や宗教学の方を主に学んでいたところ、仏教の考えに興味を持ちました。 自分も精神的に高尚な人間になって、仏教に関わる生き方をしたいと思うようになりました。 また、大切な家族が自ら命を絶ってしまった苦しみも、そうしたものに奉仕することによって、消化できるかもしれないと思うようになりました。 数ヶ月前から、瞑想も毎日しています。 最近、真剣にお寺に出家することを考えています。 しかし周囲の人々からは「非現実的」「根性なしのお前にできるわけがない」「就職や進学がしたくないから逃げている」など厳しいことを言われました。 やはり私の考えは甘えなのでしょうか。 世間知らずの若者が高校卒業後、急に出家して、仏教に奉仕して生きたいというのは、非現実的な考えでしょうか。

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浄土真宗・僧になり法要や法話をしたい

はじめて質問させて頂きます。 私はお寺関係の血筋でもなく、付き合い?のあるお寺もありません。 福祉の相談関係の仕事をしており、身寄りもなく独り身で、お金も全くない、菩提寺もないかたを見送ることがあります。 そんな時、せめて私が僧侶なら小さいお葬式をあげて差し上げられるのに。と思うようになりました。 あと、現在新型コロナウイルスの関係で、福祉施設にお坊さんを呼ぶことができません。毎月みなさんとても楽しみにしており、他のことで喜んでもらおうと楽器の演奏など自分に出来ることをしますが、やっぱりお坊さんの話を聞きたい、みんなで正信偈を唱えたいようです。私が僧侶なら法話ができるのにと思うようになりました。 動機としてはハテナ?な点もあるかと思いますが、僧侶になりたいと思っています。アドバイスよろしくお願いいたします。 補足・現在、通信制の大学院で福祉を学んでおりますが、仏教の授業がひとつだけあります。その授業の時に、仏教にものすごくひかれまして、上記の思いが強くなりました。 「浄土真宗」と書かせていただいたのは、私が住んでいる地区では浄土真宗が1番多く信仰されているからです。私や主人は実家が天台宗のお寺にお墓がありますが、実家が県外でお寺との付き合い?もなく、乱暴な言い方ですがお墓があるだけといった感じです。実家の親たちもお墓参りに行くくらいで、信仰してるかどうかといえばそうではないといった状態です。

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はじめまして

はじめまして、ぽん太と申します。 家族に病人がたえず悩んでますが、毎日仏壇などで般若心経など他の経典も 読んでます。僕は、学生時代は一般在家でしたが、道元禅師などの教えにすごく興味があり、もちろんお釈迦様も、仏門に入ろうと永平寺などへ出家を考えた時もありました。40すぎですが、仏門に入るのはもう困難でしょうか。 自分はよくないいじめとかによくあい死のうとも何回も思って首を吊りかけた時もありまぶした、今でもありますが、仏教のことを思うと気が少しは変わります。それと僕は霊感は無いほうですが、頭の中などでは何かが見えたり、聞こえたり、光見たいのが見えたりもしてます。 いろんな宗教宗派をもっても大丈夫なんでしょうか。今では新興宗教とかもあるみたいですが、 家族の病気がちを考え仏教の勉強をたくさんし、仏 菩薩様などにいろいろお経を唱えることで気持ちを和らげていました。 お経には深い意味があることもわかってました。 お坊さんたちに深い教えをいただけたら嬉しく思います。 お経などにも出てくる仏教の苦の意味を知りたいです。 お坊さんたちと交流出来たらいいなと思ってます。 よろしくお願いします。仏教をさらに学んでいく所存です。

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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

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師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

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得度に関して

大学院に通う22歳です。 将来、浄土真宗本願寺派で得度させていただきたいと考えています。 しかしながら、実家は寺院ではなく、無宗教で所属寺院もなければ、現時点で私は門徒でも無いため、どのように立ち回ればよいのか悩んでいます。 近隣に本派の寺院はあるのですが、学生の身分で足を運ぶのはすこし勇気がいることで、なかなか難しいのが現状です。 もともと宗門大学で4年間仏教について学び、より深く学びたいと思ったため、今年4月からは同大学の大学院に進学しました。 得度したいと思うに至ったのは、僧侶として生計を立てていきたいという訳ではなく、この大学で4年間過ごしてきたなかで様々なご縁を頂き自分の中で信仰心が芽生えたこと、またもっと深く知りたい学びたいと思ったこと、そして自らが仏教をこの先も研究していく過程においてやはり実践者として知見を心得ることは重要になるのではないかと考えたからでした。 正直なところ、このような動機で得度したいと言って良いのか、お門違いで身のほど知らずなのではないか、と考えることもあります。この点についてもご意見を賜りたいと共に、こういった場合はどのように動き、ご縁をいただくのが良いのか、ご助言をいただきたく思っています。 何卒よろしくお願い申し上げます。

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僧侶になりたいが別の職も目指したい

有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

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