自殺願望が消えません。
幼少よりずっと自殺願望があり、その気持ちが消えません。
住んでいるマンションの外に面した階段から飛び降りようとして、母に止められたことが5〜6回ありました。
どこかで母が追いかけて来てくれるのを待っていたようなところがあり、こんなことではいつまで経っても死ねないと思い今日自室のクローゼットで首を吊ろうとしました。
ベルトに首を通して、しゃがめば死ねることがわかっていたのにしゃがめませんでした。自室なので母は止めに来ないのに、死ぬことを躊躇ってしまいました。
首を吊れなかったことを母に話したら、いつもは私の自殺願望をあまり真に受けてくれなかったのに今日はあなたが死ぬことを想像もしたくないと泣かれて、流石に罪悪感が湧きました。
しかし、私には母の気持ちが本当なのか未だに疑ってしまいます。疑ってしまうのには今までの育ちなど色々と事情があるのですが、いくら死んで欲しくないと言われても私の心にそれが伝わってこないのです。
私がおかしいのはわかります。
母を苦しめたくない気持ちもありながら、母の気持ちを疑ってしまったり、死にたいのに首を吊るのを躊躇ったり、自分でも何がしたいのかわかりません。
死にたいと思わない人たちが羨ましいです。
長くなりましたが、結論としてはどうすれば死にたいと思わなくなるのかをお伺いしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんなあなたを認めて大切に
拝読させて頂きました。
あなたが死にたいと思いながら毎日生きていること、そして実行しようとしながらも迷っておられることを読ませて頂きました。あなたがお母様に「死んでほしくない」と言われることを信じることができないことも読ませて頂きました。あなたのお気持ちよくわかります。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
あなたが死にたいと思ってしまった、やっぱり生きたいと思うのは自然なことだと私は思います。私もそう思いながら今まで長い年月生きてきました。
本当に生きること全てが辛くて死にたいと思ったり、自分は孤独だと思って死にたいと思ったり、もうなにもかも面倒くさくなって投げ出したくなって死にたいと思ったり、これから先々のことが見えなくなって死にたいと思ったり、だれともかかわりあいたくないと思って死にたいと思ったり、なんとなく死にたいとおもったりしながら私達は今生きています。
私も行動も何回か試みましたが死に切れませんでした。それは何かの巡り合わせがあったのかもしれませんし、止めてくれる誰かがいてくれたからかもしれません。或いは誰も止める人はいなかったけれどもやはり自分は未だ生きたいと切に願ったからかもしれません。自分を生かしてくれる人やものごとの力を感じたからかもしれません。
とはいえあなたも私も今生きています。生かされているといった方が正確かもしれませんね。あなたは今も沢山の方々に育まれて沢山の方々やものごとに守られながら生きていますし、沢山の恵みを受けながら生きながらえているのです。
そしてあなたは他のものに生きる力を大なり小なり与えているのです。自分でも気がつかない中でもあなたが生きることでいろんな方々に少なからず影響を与え恵みを与えそしてそのことが巡り巡ってあなたを今生かしているのです。
それでもやはり死んでしまいたいと思うことはあるでしょう。どうかそんな時はいつでもここであなたの思いをおっしゃって下さいね。あなたはここでも既に生きていますし、あなたの言葉が次の方々に伝わっていくのです。そんなあなたのことをどうか認めて下さいね、そしてあなた自身を大切になさって下さいね。
あなたが生きることを心から願い、あなたが皆さんと共にあることを心から祈っています。
思い優先型の癖をやめる
あなたは長い間、心という物があると想定し、その思いをご自身だと思い生きてきたと思います。あなたの身体は間違えなく生きようとしています。死にたいとは思っていません。
命を全うするまで生きようとします。それが本当のあなた自身です。
人の気持ち本心は相手に伝えてもらうだけでなく、受け取る側のアンテナも重要です。
思い優先型で生きていると、物事に接するときに、ジブンという自我フィルターを通して受け取ってしまいます。仏教では、このフィルターをとっぱらい身体の各機能のままにダイレクトに受け取ることを大切にします。
坐禅中はフィルターなして、眼、耳、鼻、舌、身体の機能のままにすごし、本当の自分という存在を知ります。
そして、普段の生活でも坐禅中と同じように心穏やかに過ごせるようにするのです。
あなた自身の考えや思いは湧き上がっても相手にしなくて良いのです。死にたいと感じても、言語化する必要もなくそっとしておいて、あなたの体の機能に意識をシフトさせてください。
みなぎるパワーで生きようとしています。
思いを切るのです。といっても切ろうとしなくて良いのです。手をつけない。そっとしておくだけでいいのです。
あなたはは多くの命に支えられて満たされています。それを全身で感じます。少なくともハスノハのお坊さんたちはあなたの味方です。
安心してください。
質問者からのお礼
お礼が遅くなりまして申し訳ございません。あたたかいお言葉ありがとうございました。