過ちとの接し方
私は中学校の部活動で、先輩から暴言を吐かれたり、陰で笑われたりされたとき、私も人に傷つけるようなことをしたことがあるんだと思いました。(過去の質問のようなこと)私は人を傷つけたことに対してとても後悔しています。中学生のときは自分の嫌さに自殺も考えました。(今はその気持ちは収まりつつあります)当時は人を傷つけた醜い自分を殺したい気持ちでいっぱいでした。でも死ぬ怖さもあり結局やめましたが、死ぬこともできない自分に腹が立ち、帰り道勝手に涙が出てしまうこともありました。人を傷つけた私が生きてていいのか、生きてても何も出来ないあ自分がここにいていいのか不安になります。私はどうすればいいかわかりません。自分のした過ちとどう接すればいいのですか?また、この気持ちは思春期特有のものですか?(親に相談した際、思春期だからと一言で片付けられてしまった)
長文、乱文すみません。
素直になれない。 人との距離感を掴めない。 気持ちを上手に伝えられない。 衝動的に死にたくなる
お坊さんからの回答 1件
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日々心掛けましょう
拝読させて頂きました。
あなたが自分の言ったことやしたことで人を傷つけてしまったことについてとても後悔していること、そんな自分のことをひどいと思っていることを読ませて頂きました。詳細にはわからないですけれどもあなたがそう思うお気持ちを心からお察しします。
あなたがそう思うのは当然かと私は思います。私達は大なり小なり自分の言ったことやしてしまったことで人を傷つけてしまったりものを壊してしまったりすることがあります。それはそう意図したものでなくても知らず知らずのうちに傷つけてしまうことはあるのです。私達は誰もが未熟者ですから考えが及ばないこともありますし、そのようになると知らずに傷つけてしまうことは多々あるのです。
そのことを深く考えるかどうかは年齢的なことよりもその人その人によって受け止め方も変わってくるかと思います。確かに思春期では感情性が豊かな場合には全てを自分の罪として真に受けてしまって深く考え込んでしまう可能性もあります。とはいえそれは成人して年齢がいった方でもそう思うことはあると思いますよ。ご両親様がおっしゃったのは恐らく人間はある程度経験を積んでいく中で何でも慣れてくるのでそういった感情も制御することができるようになる、或いは慣れてきてあまり深刻に考えなくなる場合もあるということかもしれません。
とはいえ自ら犯してしまったあやまちや罪はやはり心から反省なさりできれば神仏や自分のご先祖様方に告白して懺悔なさり、傷つけてしまった方々に誠意をもって謝ること、そしてそのようなあやまちや罪を置かなさに様にと心から神仏やご先祖様方にお誓いなさり日々心掛けていくことはとても大切かと思います。
そうしていくことで私達は自らを見つめ直して悪しきことは直し、できるだけ注意を払っていくことができます。それが人としての成長につながりますし、私達が生きる意味にもなって参ります。
あなたもどうか落ち着いて自らの考えや言葉や行いを見つめ直して、間違ったしまったり人を傷つけてしまったら心から反省し、神仏やあなたのご先祖様方心から子告白し懺悔してください。そして傷つけてしまった方に心から謝りましょう。直接謝ることが出来ないならば心の中でも謝りましょう。そしてこれからはその様な間違いや罪を犯さないようにと心からお誓いなさって下さいね。そして日々心掛けて下さい。あなたのご成長を祈ってます。
質問者からのお礼
お返事遅くなり本当にすみません。
そうですね。自分がしてしまったことは、心の中で反省し、もう過ちを繰り返さないよう、慎重に生きていきます。
ありがとうございました