離婚への迷いと自分の不誠実さへの対応
30代前半、男、子なしです。妻との離婚を悩んでいます。
元々自分が相手に怒ったことがあり、一年ほど、意図的に深く関わらないよう生活を送ってきました。
妻に不満をぶつけたときに「私はそれを直せない。我慢できないのなら離婚も仕方ない」と言われたのがきっかけです。
そして一年経った先月、妻から、こんな生活では一緒にいる意味がないと言われました。(この期間は会話も最小限、性生活はありません)
まずはこの期間を意図的に作り出したこと、ここまで問題を先送りにしてきたことを謝りました。
妻はそのような生活そのものにも不満だったのですが、
思いが爆発するきっかけとなったのは私のバッグに精力剤のようなものが入っていたことを見つけたことです。
私のことは放置してるのに、風俗に行くのは寂しすぎるということです。
(薬自体は妻との性生活のために買ったものです)
そして相手から言われたのは、もう二度と風俗へは行かないか、私のことを一生愛せるかということです。
もちろんその場でYesと言うことはできたのですが、未だ回答できていません。
回答できていない原因は2つあって、
元々人に対して辺に優しさをかけすぎたり我慢しすぎるところがあるのですが(喧嘩のきっかけもこれに関連しています)、
同棲時代に、相手からそろそろ…と言われなんとなく結婚してしまったということで、今まで結婚自体に納得が行っていないということ、
この1年の間に好きな人ができてしまったことです。
その好きな人がいなければ恐らく、謝って婚姻生活継続、そしてまた同じことを繰り返していたと思います。
結婚に対する覚悟が足りないという所と、よく言われている「結婚に向いていない人間」なんだと思います。
一生愛するなんて現実的にはできないにしても、結婚を決断するタイミングではその意思を持っておかねばならないのだろうとも思います。
今の好きな人への思いや関わり方も距離感が近づけば、最終的に今の妻と同じような関係になるのだろうということも分かっています。
自分の想いを持ったことがなくてなんとなく生きてきたので、やりたいこと、どういう人生にしたいかなどがありません。
心の底から愛せる人ができると誠実に生きることができるのでしょうか?
今自分にとってできることは何でしょうか?何を指針にしてこのあとの行動を決めるべきでしょうか?
他人を信じられない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛せる人ができた時に誠実に生きることができるのではなく、人を愛せる自分になれた時に誠実に生きることができるのだと思います。
どうすれば人を愛せる自分になれるのかは人それぞれです。性格も状況も違いますから。
例えば、妻の200年後の顔を思い浮かべてください。白骨となった顔をしていると思います。動くこともありません。目玉もありません。よく思い浮かべてください。
次に、今の妻の顔を実際に見てください。
肉が付いてて動いています。こちらを見ているかもしれませんね。よく見てください。
その時ふと、生きているという奇跡を感じると思います。生きていてくれてありがとうと思うかもしれません。
生きているだけでいいと思えるかもしれません。
不満はたくさんあるけど、生きているだけでいいとさえ思えるかもしれません。
そう思ったら妻を大切にするために行動できると思います。
それも愛するということのひとつの形だと思います。
また、別の好きな人がどこかの誰かと愛し合い幸せになる。それを見て嫉妬するのではなく自分の幸せのように喜ぶ。祝福を送る。これもまた愛のひとつの形です。
仏教では愛することを慈悲といい、相手の幸せを願うこと、相手の苦しみを取り除くこと、という意味です。
あなたなりの人の愛し方を追求してくださいね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
自分の人生という感覚を持ったことがなく、
これを機会にどのように生きたいのか考えてみます。