意見を聞きたいです
ずっと醜く愚かな男だったし、醜く愚かな男のまんまだし、醜く愚かな男のまんまだろうから南無阿弥陀仏とすべて委ねて働いて馬券買って風俗行って病気になって死ぬという人生は罪ですか?死にたいとは思わないですけど生きたいとも思いません。ずっと頑張って生きてきたけど頑張ることに疲れました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
罪というのはあなた自身を含め誰かを苦しめたり傷つけたりすることを意味します。
罪を作ればそれは報いとなって自分に返ってくるのです。因果応報です。
ですから、あなたがあなた自身を含め誰かを苦しめたり傷つけたりしないことが望まれます。
馬券を買って外れて苦しいなら買わない方がいいです。馬や騎手を応援するのが楽しい予想することが楽しい外れても楽しいと言えるなら買えばいいです。
風俗で相手を苦しめたり傷つけたりするなら行かない方がいいです。サービスに感謝して優しく接することができるのなら行ってもいいです。
頑張りすぎて自分が苦しくて競馬や風俗で癒しを求めることはあなたにとっては悪いことではないと思います。
ただそれがちゃんと自分の癒しとなるように自分を含め誰も苦しまないように接することが大切です。
確かに南無阿弥陀仏と称えていれば死後のことは心配ありません。しかしそれまでの生きている間もなるべく苦しみの少ない人生を送って欲しいと思います。
仏と共に「命」ある限り生きていきましょう…大丈夫!
『ずっと頑張って生きてきたけど頑張ることに疲れました』
頑張っていらっしゃったんですね…だからこそ疲れ果ててしまったんですね。
『働いて馬券買って風俗行って病気になって死ぬという人生は罪ですか?』…もちろん罪ではありません。
ただ…馬券大当たりしたらどうしますか? ここでは書くことを躊躇しますが、敢えて…風俗に行ったらとても可愛い子に出遇えて惚れてしまったらどうしますか? だいたい風俗に行ったら病気になり死ぬという法則でもあるんですか?
『死にたいとは思わないですけど』…と、はっきりとおっしゃっていますよね。恵まれた、また限りある貴重な命 精一杯生きていきましょうよ。
『生きたいとも思いません』…死んでしまうと先の馬券も風俗も経験できなくなりますよ…。
ともかくも大切な点を申しますと、おっしゃっている『南無阿弥陀仏とすべて委ねて』…ここです。
阿弥陀仏に全て委ねて良いのです。仏の方で「任せよ」とおっしゃっているのですから。委ねられたら、任せられたら「すくわれる」のです。
いえ、もっと正確に申せば「任せたところがおすくい」です。
なぜなら、仏に任せたなら、死のうという我が思いすら任せる(取られる)ことになって、必然的に「命ある限り生きる」結論となるのです。
これが浄土真宗のおすくいです。
御自身を『醜く愚かな男』とおっしゃっています。
それは御自身の自分に対する評価なのでしょう。厳しい評価ですね…。
その評価を御自身で受け入れるかどうかです。
一つにはその評価をも、阿弥陀様に委ねていく道があります。これも簡単ではありません。
そして、もう一つ御自身の奮起によって「醜く愚かな男」から脱却する道筋もあります。楽では無く、長い道のりですが、決して不可能ではありません。皆 同じ人間なのですから、あなたも『カッコ良く知的な男性』になることは可能です。
それは、出来ると思って努力したものだけが到達できる「自分」です。
端から諦めたなら、永遠に届かない「自分」です。
それを決めるのは御自身で、それを支え、導き続けて下さるのが「あなたに間違いのないすくいを確立してわれに任せよとおっしゃり続ける」仏様です。
仏様も、また私もあなたを応援しています…。
質問者からのお礼
大変ありがとうございました、随分気が楽になりました。罪について随分明らかになりました、委ねるということについて随分明らかになりました。長い間悩み苦しんできたことだったのでよかったです。